
⑦四国遍路を歩きたい。その1。
四国遍路に興味を持ったきっかけは子供の大学受験。それまで四国へ行った事もなく、遍路に興味もありませんでした。受験に付き添って徳島へ行き、子供の試験中、じっとしていても落ち着かないので、どこか観光しようと考えました。
四国と言えば何だろう。半日程度で帰って来れる観光地を探し、四国遍路1番札所の霊山寺を見つけました。そうだ 受験のお願いをしてこよう!
汽車でゴトゴト最寄りの駅へ向かうつもりが 鳴門方面へ行く汽車に乗ってしまい 途中下車。そこから1時間弱歩いて霊山寺へ。この時、歩き遍路という言葉も知りませんが、今思えば歩き遍路です。徳島は、私の住む地域よりも暖かく、春の風が吹いていました。花が咲き、柔らかい空気、素朴な雰囲気に安らぎを覚えました。
霊山寺では「受験の合否はどちらでも良いです。子供にとって良い方向へお導き下さい。」とお願いしました。ずらっと並んだ石仏一体一体の前で手を合わせて真言を唱えました。
焼きまんじゅうに惹かれて門前の土産物屋へ入りました。店員さんが四国遍路の知識が全くない私に、四国遍路の事を少し教えて下さいました。軽い気持ちで「子供が大学に合格したら、子供の顔を見に来がてらお遍路してみようかしら。」と言うと、「こうすべきという事はなく、お遍路は自分次第ですから、ご縁があれば、是非またお参りくださいね。」と言われ、この「自分次第」という言葉がやけに印象に残りました。
その後しばらくは四国遍路のことは忘れていました。
その1年後、コロナの流行で県を超える移動が難しくなりました。子供は、徳島の大学は落ちて、近くの大学へ自宅から通うようになっていました。子供が、コロナ禍の不慣れな土地で不安な一人暮らしをしなくて済んだのは、霊山寺の仏様のお導きなのかもしれないと思いました。
コロナがある程度落ち着き、四国に用事があって行ったところ、近くに立派なお寺があり入ってみると、四国遍路75番札所善通寺で、弘法大師出生地でした。
これも何かのご縁。
子供を守ってくれたお礼と 世界平和を祈って 四国遍路を始めることにしました。善通寺の方に「どんな風にお参りするかは自分次第ですけどね、お経を納めたしるしの納経帳の朱印である事は心に留めて下さい。」と言われつつ、納経帳を購入し御朱印をいただきました。
また 自分次第 です。
1250年の歴史のある四国遍路。
どんな風にお参りしたら良いのか調べ、考えるのでした。