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Noということで、自分を取り戻す

私たちは、「No」ということに、慣れていません。
特に相手の話や提案に対して、喜んで、「Yes!」と言いそうになります。

売り込まれる!と思う時だけ、警戒はしますが、それでも、買った後に、
「なんで、こんな買い物をしちゃったんだろう?」と後悔する人もいるでしょう。


◆受け入れると受け止める

自分と違う考えを、「受け止める」とことはできるけど、「受け入れる」となると、自分の意見・考えを捻じ曲げてしまうことになる。

この違い、わかりますかね?

「受け止める」は、「あなたは、そう考えるのね。でも、私は、こう考えるよ」ということ。

それに対して、「受け入れる」は、「あなたのその考えに私も賛同します(染まります)」ということ。

受け入れてしまうことで、自分の色がなくなるぐらいなら、ちゃんと
「No」ということ。
「受け止める」を意識すること。

そもそも、「受け入れてしまう人」は、安易に流されてしまいます。
軸がない人、軸が弱い人という感じで、エネルギーを読める人からすると、舐められてしまうわけですね。

とはいえ、この話、とあるコミュニティの中での、コミュニティ仲間同士のお話タイムで出てきたこと。
参加したみんなが、「安易にイエスと言いすぎるよね」と悩みを打ち明けていました。
ま、お恥ずかしながら、私もそういう傾向ありましたという話もしました。

◆私たちは、「No」と言い慣れてないだけ

「No」に深い意味はないのに。
人を傷つけるわけでもないのに。
私たちは「No」ということを恐れてたりする。

試しに、気心の許せる人同士で、「No」と言いあう実験をしてみればいい。

たぶん、心のどこかで「No」と言ってみたかった自分に気づくかもしれない。

ある意味、「No」と言えるのって、「No」と言っても大丈夫そうな相手にだけ言えるというか。。
家族や、友人、ある意味、甘えることができる相手にだけ、「No」を言っているかもしれません。

もしくは、まったくの他人で、関りがなさそうな人、デパート店員さんなど、ちょっとしたお断りのために、言うときぐらい。

それでも気が弱い人などは、まったくの他人にでさえも、良い顔というか、お断りできないことも。

外国人の方が、「No」とハッキリ言うのを、心のどこかで羨ましいなと思っていたりするのではないでしょうか?

日本人特有の、「相手を傷つけないこと」がいつの間にか、「No」と言えない日本人というレッテルを貼られてしまったように。

◆モデルケースの人生を生きることに、「No」と言う

私たちは、モデルケースという言葉に振り回されています。
「こんな家に住むと良い」
「こんな会社で働けると良い」
「こんな車を持つと良い」
「休暇には、おしゃれに旅行して、愉しむ」

ここに、「自分らしさ」を入れる余地はどこにあるのでしょう?

洋服などの流行も、「自分に合う」というよりも、「今年の流行は」という言葉に飛びついてしまう。
今でこそ、多様化社会になりつつあるので、一昔前の「大衆化社会」のころのような十把一絡げで、誰もが同じようなファッションをするというのは、だいぶ減ってきているとは思いますが、それでも、ある種のステータスというのは、あるように感じます。

「こんな生活できたらいいな」
というのも、自分が本当にしたい生活とは、限らない。
ただの憧れということはないでしょうか?

◆あなたの中の「No」を書き出してみましょう

人に言いにくいのは、普段から、「No」を出し慣れてないから。
だったら、自分の中でリスト化することをしてみてはどうでしょう?
(自分に対しても言っています。自戒を込めて)

「~したくない」でもいいのですが、「~したくない」だと、その状況が続くことになります。
わかります?

前の職場で、よく同僚から、「会社辞めたい」としょっちゅう聞かされていました。
でも、実際に、先に辞めたのは、私の方でした。

同僚は、「辞めたい」と思う、今の環境を選択し続けているわけなんです。

【「辞めたい」=今のまま】 なんです。

なので、Noリストには「~したくない」ではなく、「~しない」としてくださいね。
私は、「辞めたい」ではなく「辞める」という言葉が発動したから、先に辞めたのです。

リストの書き方を、理解したところで、実際に、ご自身でアウトプットする時間を作ってください。

書いてみると、意外と、自分の望みってこういうことだったんだなぁと思うことないですか?

こういう作業をすることで、自分自身を取り戻せたら、自分自身の本音を取り戻せたら、いいのではないか?と思うのです。

しんどい部分があるのなら、なぜ、しんどいのか?
この中に、どんな「No」が隠されているのか?

◆そもそも、疑ってみる

私は、基本的に「信じるな、疑うな、確かめろ」が信条にしています。

そうなると、この世の常識と思われているところに、「ん?」と思えるようになった自分がいます。

でも、中には「確かめろと言ったって、どうやって確かめたら良いのかわからない」という人もいます。

個人的には、情報を2か所以上から取ってみる。
元々の情報源がテレビなら、新聞、本、口コミ。

また、人からの話なら、2人以上から聞いてみる。

そうすると、時々、真逆の情報に出会うこともあります。
私の場合、3.11の時が、そうでした。
真逆の情報が飛び交う場面に、遭遇して、強烈な印象を残したものです。

どういうことか?
「非常事態で、人々の心が一つにならないといけない時に、なぜ、真逆の情報が流れるのか?」という素朴な疑問が湧いてきたのです。

今では、いろんな情報を取ってみて、なぜ、このようなことが起きるのか?ということについては、自分なりの答えは出しているつもりです。

今まで、信じていたものを疑ってみる。
そこから、見えてくるものもあると思います。

疑うわけではないけれど、確かめるために、いったん疑ってみる、「No」としてみる。

私たちの人生は一度きり。
厳密には、今の肉体を持っての人生は一度きり。
だったら、今の肉体を持って、できることの壮大な実験をしてみたら良いと思うのです。

◆「No」と言いあえる関係性

前に、お互いの好きを共有するより、お互いの嫌を共有するのが、関係性を長続きするコツ、みたいなツイートを紹介しました。

嫌だという感覚をわかってもらう と今回の話は似ているかもしれません。
今回は、人と共有する前の、自分だけでできることから始めてみようと言った内容になりました。

◆「No」ということを恐れない

結局、Noと言って、壊れる関係性なら、しょせん、そんな関係性だったんだろうと思うのです。

むしろ、本当の意味で壊れる関係性って、無言で去っていくイメージがありませんか?
ちゃんと終わらせてくれる人の方が少ないイメージがあります。

私は、昔一緒にコラボしていた相手に、「しんどくなったので終わらせたい」と言ったら、ボロクソ言われたことがあります。
当時は、両親のW介護で、イベントどころじゃなかったのもありますが、コラボした当初は、私の方が集客できてたんです。
それを棚に上げて言われたときに、「あぁ、この人と終わらせて良かったな」と思ったものです。

子どもの頃は、学校というシステムで、嫌な人と同じクラスになっても、1年経ち、2年経てば、クラス替えや卒業という形で、終わらせることができます。

でも、社会人になると、会社を定年で勤め上げるとか、転職などでもしない限り、下手すると何十年も続くことがあります。
その中で、「No」と言っても壊れない関係性が築けているところならいいですが、そうではない場合、自分で「No」と言っていくしかないんですよね。

大事なことは、自分を一番に大切にすること。

繰り返しになるようですが、自分の人生は一度きりですしね。
そのためにも、Noリストを手元に持っておくといいかもしれませんね。

あなたの人生のヒントになれば、幸いです。
あなたの人生が良くなるよう、心から応援しています。

今回も記事をお読みいただきありがとうございました。

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つっちー/土坂有加 (心理学出身の傾聴もできる夢かなコーチ)
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