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そっか、私、ずっと非常識だったんだ。

これは、最近、内観して出てきたもの。

非常識だからこそ、信頼もされにくいし、信用もされない。
当然だよね。
普通の人の枠を超えている訳だから。

そして、元々目指しているものも、非常識なことだし。
仙人みたいな生き方したいとか、ジェノベーゼパスタ専門店作って、シングルマザーとか、親に恵まれない児童養護施設出身の人たちの働ける場を作りたいとか、全然、今の環境と繋がってないのに、何を言っているんだか?という、夢だけは壮大なことを描いている。

そう考えたら、いろんなことが見えてきた。
子どもの頃や若い頃、父親や、男兄弟から、
「お前は、変わってるから」とか、
「耳が聞こえないから」とか、いろいろ、理解する氣もないような発言をずーっと受けてたけど、

みんな、私のこと、異端児みたいで、怖かったんだ。
母親だけが「有加は有加だから」と、認めてくれてたけど。

それを、私自身、途中で女子校に行ったのもあるけど、男性に理解してもらうよりも、女性の方が柔軟性があるからか、男女分け隔てなく・・・というのが、あまり自然にできてない感じがする。

最近では、私の発言が、理解できる人とできない人に顕著に分かれる傾向が強くなっているのも感じてた。

10年前ぐらい前からいた、コミュニティで発言しても、刺激にはなっても、納得してもらえてないなと思う部分が浮き彫りになり、あまりそのコミュニティにも出入りしなくなった。

そうこうしているうちに、氣がついたら、私の理解者は、コンサルさんや、クライアントさん、コーチングコミュニティあたり。
なんか、メッチャ狭くなっとるやないかい。

前は、ミナミAアシュタール界隈と、薄く繋がってたけど、今じゃ、完全に繋がりも、ほとんど切れかけてる。
ワイワイと楽しそうにやってらっしゃる様子は見るけど、お呼びでございません状態なので、まあ蚊帳の外って感じかな。(都内で集まっている系が多い感じなので)

ステッブン界隈は、ごく一部を除いて、最初から、混ざれない感じ。
今じゃ、スイーツ・グルメイベントのときぐらいかな。

あー、この感覚、
小学校の同級生は、基本、地元の中学に進む人がほとんどだから、同窓会というか、同級会も、30代の時に1回だけ、あったっきり。
私立の中学に行った私としては、地元の同級生との繋がり薄い。

かといって、私立の中学・高校も、微妙に、高校3年から、大学の授業受ける組と、高校に残る組とでこりゃまた、集まりにくいし。
でも、SNSで、一番繋がっているのは、ありがたいことに、この時代の人も多いかな。

みんな、結構、ママしている様子とか、凄いなと思いながら見てる。

あとは、過去の会社で繋がった人がチラホラ。
それでも、知らないうちに、友達関係切れてたりする。
私から切ったことは、ほとんどない。

でも、いつのまにか、お友達欄から消えてる人もいる。
SNSなんて、そんなもんって言われたら、仕方ないけど、私の発信も、もしかしたら、みんなにとって邪魔なのかな?とかなってくる。


Facebookは、実名だからこそ、最初はプライベート投稿だけだったけど、ビジネス利用、イベント活用には、便利だった時代もあったから、使っているうちに、あー、なんか、ビジネス発信ウザがられているかも!?と思うようになることも・・・ここまで、つらつら書いてきたけど、なんとなく感じたのは、

【また、居場所難民になってるな】
ということ。

両親もいない今、兄弟とも連絡ほとんどないし、ほぼ孤独。
要は、普通のひとであれば、持つであろう【家族】という居場所もない。
別に異性を遠ざけてきたわけじゃないけれど、ご縁はないというか。。

かといって、友達付き合いも上手な方でもないので、よく言う、「思春期の頃の友達は永遠だよね」みたいな、【友達】コミュニティもない。
個人的には、学生時代の友達は、学生時代の波動。
社会人になってから、あちこちで作ってきた、なんとなく繋がる【友達】が立ち替わり入れ替わり、そばにいてくれたという感じ。

だったら、【居場所作れば?】という話になるんだろうけれど、コミュニティというのと、また、なんか違うというか。。

今日は、いつもの、起業お役立ち系記事というよりは、飾り気のない私の、心の動きというか、非常識というか、少数派というか、普段「自分って変わり者だよなぁ」と感じている方に向けて、何か響くものを流す時なのかなぁと思って書いています。

ちょっとスピリチュアル寄りな、内容に仕上がってますが、そういう知識がない方にも読めるよう、頑張って書いてみます。

◆「あ、なんか、自分違うな」と思うとき

よくよく考えてみたら、父親や、男兄弟から、
「お前は変わっているから」という評価って、
「(世間や他人と)変わっててはいけない」というメッセージにも聞こえるんですよね。

でも、私たちは、生まれたときから、個性豊かな存在な訳で。
そりゃ、身長50センチ台の小人もいないし、3m超の大男はいないけれど、大体150センチ~190センチぐらいの間で、体重だって、40キロ台~80キロ台・・・ま、多少のふくよかな人たちもいるかもしれないけれど、

双子でさえも、なんとなく違いが見分けられる私。
もちろん、中には他人なのに、「〇〇さんに、似ているかも!?」というケースもチラホラ出てきた。
それでも、やはり、人はみんな違うんです。

他から得た情報の受け売りですが、
【私たちは宇宙のどこを探しても唯一無二の存在なのです】

中学生ぐらいから、スピリチュアルをかじっている身からすると、私が中学生の頃は、「ソウルメイト」という言葉があったが、最近(数年くらい前)からは、「ツインレイ」なんていうのまで出てきた。

「ソウルメイト」が「グループソウルの仲間」という意味合いで、いわゆる学校でいうところの同級生だったり、仲良しグループという意味のレベル。
ソウルメイトに出会えると「懐かしい」感じになるそう。

「ツインレイ」ともなると、ガラスの仮面がお好きな人には、「魂の片割れ」という表現の方がしっくりくるのではないですかね。
ソウルメイトよりも、もっと近しい存在ということ。
なんたって、「魂の片割れ」ですからね。「もう一人の自分」みたいなもんですよ。

私の知り合いに、紆余曲折あって、「ツインレイ」と再婚した人がいますが、話を聞いてびっくり。
誕生日(生年月日)・身長・足のサイズまで、一緒とのこと。
そんなことあるんだ~!?という感じです。

要は、肉体がどこで何をしていようが、家庭・学校・社会のどこかで一緒に活動していようが、「魂」レベルで、「あ!同じかも」と思えない限りは、心が、満たされないというか、寂しさを感じるんですよね。

【私の居場所、ココじゃない】みたいな、感じで。

肉体としての自分。
心で感じている自分。
魂で感じている自分。

これが、一致して、【この人たちと一緒にいれて嬉しい】と感じられる環境・状況を手にしている人は、そう多くないと思います。

多分、心のどこかでは、
「この人、本当に(魂レベルで)私のパートナーなのかしら?」とか、
「この会社の人、良くしてくれるけれど、こういうのも、一時的だよね?」と感じながら過ごしている人も多いのではないでしょうか。

そして、「私を本当の意味で理解してくれる人は誰なんだろう?」と探し続けているのではないでしょうか?

私個人としては、それを外に探しに行くのは、「なんか違うかも」というところに落ち着いています。
だから、ソウルメイトもツインレイも、情報としては知っているけれど、特段憧れとか、そういうのは、過ぎ去った感じです。

◆孤高と孤独は違う

どんなに群れていても、結局は「自分一人」

よく、いろんな人が言う
「親が~」
「パートナーが~」
「子どもが~」
「上司が~」
「部下が~」
「お客様が~」

結局、それって、
「誰それがいての自分」と思ってます?

ちょっと前には、「親ガチャ」とかいう言葉が流行っていたそうですが、

それって、「親がよければ、問題は全部なくなります?」ってこと。
「親がいなければ、こんな問題は起こらないのに」って思います?

違うんです。
親は、関係ないんです。
あなたがどうしたいか?
あなたがどう感じているか?

あなたが、それを問題だと感じているから、それを親が演じてくれているだけ。
子どもが演じてくれているだけ。
パートナーが演じてくれているだけ。

孤独というのは、肉体的に、一人ぼっちになっているだけ。

でも、孤高というのは、自分の中で、「すべての現象は、自分の心が映し出している」という、自分原因説に、責任を持てるということ。

「それでも、親がひどいことをしたという事実は変わらない」と思いますか?

そうじゃないんです。
「『ひどい親だった』と感じる自分の心を見つめていきましょう」ということ。
孤独は肉体的には寂しいけれど、孤高の生き方は、全てを受け入れること、責任を持つことに繋がっていきます。

私もまだまだですが、孤高の生き方を追求していこうかなと思っています。

◆常識とは、真実ではないこと

常識について、アインシュタインが面白い格言を残しています。
常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう

例えば、エスカレーター。
東京ではなぜか、左寄りに皆立ち、右側が空いています(あるいは急いでいる人が昇っていく)。大阪では反対に、右寄りに立ち、左側が空いているとのこと。
これは、地域による常識の違い。

また、最近の面白いなと思ったのが、
日本語では「頑張る」とか、「頑張って」というのは、常識的に使います。
それが、海外のほとんどの国では、「頑張る」に該当するという単語がないとのこと。

となると・・・「頑張る」ということは、常識的ではないということ。。
余談ですが、その、「頑張って」を伝えたかった人は、苦し紛れに、「『頑張る』とは、やりたくないことをやること」と伝えてました。

それって、頑張るじゃなくて、「我慢」。。。

まぁ、言い換えると、私たちが常識と思っていることって、【実は真実でもなんでもない、ただ、その周りで大多数が使っているだけ】ということがわかってきます。

◆だから「非常識」と言われても

人からは、「非常識」というのは、「何もわかってない」という意味合いで使っているのかもしれないですが、私からすると、逆に

常識に囚われずに、真実や、また大多数の声とは関係なく、自分の心や魂の部分(真実)が見れる人」なんだろうと解釈しています。

常識が溢れている中で、あえて、「非常識」を選択できるというのは、大音量の中を、小さな正しい音を拾い当てる感じになるのでしょう。

昔の「仙人」というのは、人々から畏れおそれられていました。
畏れというのは、かしこまるとか、もったいないという意味です。
そこには、単なる恐怖ではなく、常識や非常識に囚われずに、真実を見る目があったからだろうと思うのです。

言うなれば、「常識がなってない!」と怒る人は、怒ることによって、自分の地位を保ちたいだけ、ということになってきます。

ある意味、【井戸の中の蛙大海を知らず】状態なのかもしれません。

私は、父親や、男兄弟から、若い頃、散々言われてきましたけれど、今思うと、逆に興味津々に、こっちのことを見ていたような氣もします。

【常識】という言葉さえ使えば、印籠みたいに思っていたのでしょう。
本当のところはどうか知りませんけどね。

結論から言うと、「非常識と言われれば言われるほど、ご自身の真実への道に繋がっている」のだと思います。

「常識がない」んじゃないんです。
「常識に振り回されない」んです。

この違いって、ものすごく大きいと思ってます。
ま、ホントに、その場所にふさわしい常識を持ってなかった可能性はあるかもしれません。
でも、常識の中身を知っても、採用しない勇氣もあります。

「非常識だ!」と言われても、それであなたを、人格否定することはできません。
「あなたは、あなたでいい」

今すぐには、大勢や、圧倒的大多数には、支援・支持されないかもしれない。だって、常識という言葉は、「大多数」にこそ、好かれる言葉だから。

でも、非常識な自分のままでいても、じわじわと、【本当のあなた】を認めてくれる人たちに囲まれていく。

最初は、何もない池に、小さな石をぽつーんぽつーんと、投げ入れる行為かもしれない。
でも、その小さな石が、溜まっていって、池から水が溢れるようになる時がきっとくる。
そんな時は、【非常識】という名の小石が、力になってくれる時。

池から水が溢れて、初めてあなたの魅力が伝わってくるのかもしれません。
ただ、何度も言うように、【非常識】を採用すれば、大多数からは支持されません。
だから、最初の頃は、険しい道のりかもしれません。
人からすぐには認められなくても、【自分で自分を信じる】ということだけは、続けていきましょう。

あなたの人生のヒントになれば、幸いです。
あなたの人生が良くなるよう、心から応援しています。

今回も記事をお読みいただきありがとうございました。

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つっちー/土坂有加 (心理学出身の傾聴もできる夢かなコーチ)
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