2022.11.16サビアン蠍座24度の体感
11/16の太陽サビアンシンボル(日の出の瞬間が基準)
蠍座24度「一人の男の話を聴くために山から降りてきた群集」
Crowds coming down the mountain to listen to one man.
ルディア訳:AFTER HAVING HEARD AN INSPIRED INDIVIDUAL DELIVER HIS “SERMON ON THE MOUNT,” CROWDS ARE RETURNING HOME.
ドデカテモリー:獅子座
対向サビアン:牡牛座24度「馬にまたがり勝ち取った髪と頭皮を持ったインディアン」
サビはんカードは吉田結妃さんの作品です。
私が感じるイメージ
※あくまでも私がこのサビアンシンボルから感じるイメージです。解釈については参考図書に挙げた本やサイトをご覧下さい。
23度では、21~22度を統合して自由にチャレンジしてみて
24度では、限度なく深入りしていく試みをする。
23度で到達した、自然霊のような精神性を
どう実生活に持ち帰れるのか。
さまざまな反応を受け取り、限度なく深入りしていく。
この詩文を読んで
私は、山から降りてきた偉い男の話を
里の人たちが聞いているのかと思っていた。
しかし、逆のようだ。
「男の話を聞くために」群衆は山から降りてきた。
ということは、この群衆は、山の中で何らかの
精神修養のようなことをしていたのかもしれない。
結妃さんの絵を見ると、みんなフードを被った服装なので
日本で例えるなら、山伏修行をしていたのかなと感じた。
この、ひとりの男は
前の度数までの積み重ねで
強い情動や本能的衝動性を
どう自分の中で取り入れて、昇華するかを
会得した人なのだろう。
私も山に行くのが大好きだが
山で感じた自然との一体感や
心洗われる感覚を、日常に持ち帰ることができなければ
「山にいる時だけ」になってしまう。
あくまでも、この24度では
日常に持ち帰れるように努力する。
ジョーンズは
「or else inability to face a vital challenge.」
と書いている。
日常に持ち帰れないなら
重要な課題に直面することができない。
ルディアはもっと言及していて
マズローの言う「ピーク体験」を
どのように実生活と同化させていくかが課題と言っている。
「ピーク体験」とは、人生で特に楽しく興奮を伴う瞬間のことだと
説明されている。
そこには、強烈な幸福感や、驚きと畏敬の念が
湧き上がってくるような、強い感情体験になる。
蠍座が求めているような、超越的なものとの一体感も
含まれていると思う。
ただ、この経験はともすれば有害になることがあるとも
ルディアは言っており
「おそらく人の完全性を破壊します。」
とも書いている。
私が感じたのは
こういった超体験は、インパクトも強くて
幸福感も味わえるために、癒しにもなるが
下手をすると毒にもなるということ。
同じ体験や感覚を共有する人と「だけ」つながれる、
他は排除するといった圧に転ずることもある。
それは蠍座のネガティブな側面にもなる。
そうではなく、あくまでもこの体験を
日常や日々にどう生かすか?なのだと感じる。
蠍座は、ずっと「力」について感じてきたサインでもあると
ここまでのプロセスを見ていて感じる。
自分の熱い願いを叶えるには
力が必要だと思って15度まで頑張り
16度以降で一旦リセットされて
ここで、やっと「本物の力」を得ようとする。
ドデカテモリー獅子座もあって
「自信」
自分の喜びとはこれだ!と
誰が何と言おうと持ち続けられる、内から湧き上がる力。
外に力を求めるのをやめ
自分の内からの力の使い方を
ひたすら修養してきた蠍座は
攻撃性でも本能的衝動でもない
「湧き上がる生命力」を
どう使うか、ここでしっかり内観する。
限度なく、やってみる。
愛蔵版サビアン占星術に
「漠然とした話でなく、ごく普通の生き方の中で
信条を生かすことができたら、満足感が得られるはずです」
と書かれている。
蠍座の信念は、強い情動から発する、願いであり
それが思いこみレベルだった時は、自分も他者も振り回すが
ここに到達すれば、自分のみなぎる生命力として
日常に生かすことができるようになるのだ。
理論だけ、知識だけではない。
蠍座なので、実践してみての強い感情体験を
どう日常に生かして、自分の在り方で語れているか。
そうでなければ、わざわざ山から群衆は降りてこないのだ。
ドデカテモリーは獅子座。
獅子座のぶれない、嘘のない生き方、輝きが
周りを魅了し、蠍座の願った「強い想い」を
分かち合うことにつながるのではないだろうか。
対向サビアンは馬にまたがり勝ち取った髪と頭皮を持ったインディアン
このシンボルも誤解されやすいと思う。
なぜなら、上に書いた詩文の訳は英語をそのまま訳したものだが
よく、日本語の詩文では
「恐ろしい顔つきで馬に乗るインディアンの戦士が
ベルトに人間の骸骨を吊している」
と書いてあるのだ。
そうではなく、頭皮狩りのこと。
ただ、この頭皮狩りも、調べてみるとインディアンの習慣ではないようだ。
サビアンのイメージとして捉えるのであれば
牡牛座はさまざまな才能を集める。
頭皮狩りとは、相手を制した証拠に、首はとらないが
頭皮の一部や髪を得ることで、相手の能力を身につけることができる
という習慣らしい。
だから、日本語訳の詩文で出てきている
「ベルトに人間の骸骨」は意味合いが違うと思う。
と思っていたら、TAZNさんがそのあたりを解説されていたので
リンクを貼らせて頂く。
https://note.com/tazn246/n/nc763e05f4451
蠍座が、24度で自分の強い情動体験を日常に生かそうとする
その反対で、相手の精神性や霊的な能力を頂く(髪や頭皮)
さらには、牡牛座も自分のものとして落とし込むところは共通、
ということなのだろう。
蠍座24度は、ピーク体験を自分の日常の在り方に落とし込むことで
山で生活している集団すら、話を聞きにくるような
内なる力を持つ存在になっていく。
参考図書(敬称略)
Marc Edmund Jones「The Sabian Symbols in Astrology」
Dane Rudhyar「Astrological Mandala」
松村潔「愛蔵版 サビアンシンボル」
松村潔「ディグリー占星術」
松村潔「未来事典」
石塚隆一「心理占星術のためのサビアンシンボル」
すたくろ「サビアンダイアリー」
その他、サビアンシンボルを掲載しているホームページ・ブログなど