浅眠の夜
一
左のほうの肩に男が凭れかかっている。細く開けた唇から漏れた、他のどんな騒音よりも深い、男の息遣いが聞こえてくる。
車窓には夜空が張り付き、そこに映る男は、ひどく衰弱しているように見えた。車両の揺れと共に小刻みに揺れ、その律動を崩すようにして、肩を揺すり呼吸している。
電車がトンネルに入ると、弱々しい男の姿がさらに克明になった。顔肌は溶けてしまうほど白く、抗して、髪の毛はガラス面の黒を浚ったのか、嫌に黒々としている。双眸は殆ど閉じられて黒眼は僅か塵ほどにしか確認できないし、吐く息のせいか唇には幾らかの皹が入り、吸う息のせいで上下する身体は見ただけで判ってしまうほど、細い。だからだと思うが、生命を感じられない。ただ自分の肩にある重みだけが、男が抱いている現実を支える唯一としてそこに感じられた。
そしてまた、出所の判然としない底知れぬ美しさもあった。それは一瞬に住む星屑のような儚いものではなく、心を賭して信頼できるもので、男の今にも息絶えそうな有り様と接してはいるが、確実に、隔てるものが在った。
よく耳を澄ませると息遣いの他に、男の「私はもう、直ぐに死んでしまうから」と言う、するすると這うような声が聞き取れた。その通りであろうとも思うが、同時に不思議だとも思って、どうしてそう判るのかと訊ねた。男は、左の肩から頭を剥がし、体を向き直した。ゆっくりと動く男の様子は、空に徐に現れ消えていく太陽のようだと感じられた。服と座席との擦れる音が暫くふたりを包み、聞こえなくなった頃には、男は自分を見つめていた。
「観察してみたなら判るが、それだけじゃない。もし視えずとも、私の内側で消えそうにあるものには、私がいちばんに敏感でしょう」
男は殆ど口を動かさず、しかし明晰に聞き取れる声質で以て言った。
とてもあなたの内に消えかかったものが在るとは思えないと、自分がはっきり言うと、男は唇の端を僅か数ミリほど上げた。唇の皹が割れ広がる音が聞こえてくるようだった。男は自分のほうを見つめたまま「いいや確かに在るのですから。今にも消えてしまいそうだよ」と訴えるように言った。
じゃあ、それは何時まで保つのかと、半ばうんざりした気持ちで訊くと、「そうだなあ、丁度このトンネルを、潜り終わったあたりまでだろう」と、また唇の端を上げた。
「もし、潜り終えても私が生きていたら、そのときは——」そこで男は両の瞼を精一杯の力で持ち上げた。そこに現れた黒眼には、自分の姿が薄らと映っている。互いの焦点が逢った頃には、そこに映っていた自分の像は歪み、男の眼には靄が掛かったようになっていた。靄は像を掬って、男の真っ白な頬へ、陽が沈むように流れ落ちて往った。
すかさず自分の掌を差し出し、親指のはらでそっとその流れを断ってやると、男は戸惑うこともせず、さっきより大きく笑みを浮かばせながら言った。
「待ちましょう。トンネルを潜り終えるのを。屹度直ぐそこですから。——ただ待っているだけでは退屈かもしれない……そうだな、数でも数えるのが手っ取り早くって良い、そうしてくれ、一から始めて、何時までか判りませんが、直ぐに終わりはやって来る」
男は、向かいの車窓に向き直していた。頬には透明な線が描かれていて、それが丁度、ぴんと茎を伸ばした、可憐な花を点ける植物に思えてならなかった。
花弁はまだ広げられていない。トンネルの終りも未だ遠くにあるのだ。
二
東京都渋谷区にあるスクランブル交差点。ここでは非常に生温かい風景が観測できる。この絶妙な温度感覚の原因は恐らく、人と人との動きの混ざり合い、その様相にあると思われる。この風景の中に居る人は皆、信号機のあかとあおに合わせて、秩序立てて動く。それは変動的かつ恒常的だ。
なかには、どうしても自分の体を抑制できずに、額の内側から飛び出てしまう人もあるが、この秩序は初めからかなり鈍感で、そんなイレギュラーは取り立てて何の障害にもならないらしい。詰まるところ、当該の場所に行けば、そして周囲の人とそのまた周囲の人と合わせて動きさえすれば、誰であろうと拒まれることなく、生温かい風景の一部となれる、ということである。
言っていなかった。
この生温かさというのは、快不快というよりも、もっと上っ面なもので、人の心象に触れる以前の大したことのない温度、である。動物園や水族館に展示されている生き物を眺めるようなものであって、実際に触れ合えるわけではない。触れ合えたとしても、横には飼育員が居るだろうし、目の前の生き物は上手い具合に調教されている。そういうミュージアム的風景に近い。
ただ、額入りの風景であるなら勿論、その風景にも端があり、端があるなら見切れがある。
見切れた人は、望んでか望まずしてか同じように見切れた人や、好んでその風景の外に立つ人に訴えを起こそうとする。決して邪魔をしようとしているわけではない。ただ、訴えねばならないという、焦りみたいなものに、内臓から負けているようにも見える。
例えば、あそこに立つ人。あの人はこれから、まだ風景に入れていないあの二人組に——特に男のほうにむかって——話しかける。その様子は、確かに、見切れたものではあるが、額の内側よりもむしろ、主に目と耳に接近してくる仕方で、実際に温度を計ることができるだろう。それが、生温かいかどうかについては、これからわかる。
あなたは屹度、呪われていると思います。私は、そういう呪術だとか、まじない、儀式、宗教、オーラ、あるいは霊的なものが、なんとなくですが理解できます。ああ、そこに居て、何をするわけでもなく、あなたやあなたと関わるすべてを眺めているのだろうなと。それはまるで、ある風景を見るような、絶景でもとりわけ珍しい光景でもなくて、かと言って、日常的でどこにでもあるつまらない情景でもない、そういうある意味で特別に限定された風景なんです。だから、離れていかない。そこを呪って、とどまっていることが、呪いにとっては退屈を凌げる唯一なんです。それを許してあげてください。ですが、きっと、あなたは私よりも早く死にます。なぜなら、呪われてしまっているから。それでこそ呪いです。何も力がないわけではない。ただ、急いであなたを殺してしまいたいとか、できるだけ苦しい方法でとか、あるいはあなたの大切なものを次々奪うようなやり方で、といった回りくどい方法ではない、というだけの話です。潔白な方法なんです。とても。ただ見つめ、ただ眺めて、ただそこに居る。そういうけがれのないやり方であなたは呪われているのです。いいですか。だから、あなたは私よりもうんと早く死んでしまう。それはどうしようもないことです。私は除霊師でも祈祷師でもなく、そういうパワーを後天的に得た、あるいはそういうパワーの生まれつき備わった人間ではないのです。今からなろうとも思いませんし、そこに関して申し訳なさを感じることもありません。ごめんなさい。ただ、でも、これから先、あなたのことを度々思い出すことには違いないと思います。何かを食べていても、新しく世の中で注目を浴びたあの曲を聞いているときも、朝起きて何も変わらない日常を少しだけ意識したときにも、度々——そこまでの頻度ではないですが——思い出すと思います。そしてその回数は、あなたが死んだ日を境に、増えているのだろうと思います。私がその違いを直接的に深い位置で感じ取ることはできないと思います。ただ、確実に——サイコロをふっていればいつか、自分の出したい目が、どれだけ時間がかかろうとも出てくるように——増えていることがわかります。幻でもなく、淡い希望論でもなくて、確率的な、そういう次元での百パーセント、というものです。ですから、あなたは、私がするのと同じように私の話したことを思い出してください。それが多分一番良い、呪いを……解くことは叶いませんが、上手に向き合っていく方法なんだろうと思います。一種の悟りのようなものです。諦めなんかではありません。もちろん投げ出すこともおすすめしないですし、ましてや……いえ、この先は口に出すことも憚られますから、やめておくとして、兎に角、時々に何かにつけて思い出してみるというのは、それほど力強い動作だということです。
二人組の一人が、すみません、急いでいるのでと言った。
これは失礼しました。ただ、伝えたかったので……。お話を聞いてくださりありがとうございました。
ああ……はい、じゃあと、さっきと同じ一人が言った。
二人組はそこで、あおい点滅に向かって歩いて行った。
三
「後世まで」と、さっき買ったばかりの焼きそばパンを頬張りながら友人が言いだす。
「後世まで、自分の行いが語り継がれるとしたら、今、どんなことしておく?」口の中に、パンも焼きそばもあって、それをこぼさない、すれすれのところで口を開けて話しているというのに、友人がものを食べる様子は不思議と汚いなとは思わせない。
「んーー」俺は迷ってから、「それを知っていても今まで通りに生きるかも」と言った。
「それは、なんで?」焼きそばパンをお茶に持ち替えて友人が言う。
「今の生き方に自信があんのか」
「そんなわけないだろ。無様すぎるわ、こんなんじゃ」
「じゃあもっと偉大なことして、後世にのこしてけよ、褒めてもらえるぞ」またパンに持ち替えて食べはじめる。もうほとんど、食べてしまっているから、あと一口とか二口とかでなくなってしまうだろうと、思った。
「いいんだよ。今、この時まで平凡に過ごしてきたやつが急に目覚ましい成長を遂げて、あれこれ成し遂げられるわけがないだろ。天才はきゅうじゅうきゅう? わかんないけど、そのぐらいの、九割方の努力が必要だって聞いたことあるだろ。それにな、褒められるなら生きているうちに褒めてほしいだろ、普通」
「ほお。つまんない考え方」
「褒めてほしいって言ったそばからけなすなよ」と俺が言うと、友人は、はははと声をあげて笑った。手にはまだ焼きそばパンがある。あと一口だ。
「よし、ご馳走さまでした」と、そばに居たもう一人の友人が言った。俺たちの会話に、手を挙げて参加を希望するような言い方だった。俺と友人はそいつのほうを向かざるを得なかった。
「お前はどう?」「何が」「後世まで語り継がれるならってやつ」「あー」「何する?」「いや」「うん」「いや、それってさあ、善いことも悪いことも、どっちもって感じ?」
俺と友人は目を合わせてから、「そうだろ普通」と、二人で口々に言った。
「なら、どっちもする」
また俺ら二人で目を合わせて「たとえば、どんな」と言った。
「暴力」
俺らは笑った。友人は残り一口に見えたパンを少しだけかじった。
「いやもっとひどいやつだな。殺しだな、殺し」
また二人で笑った。肘をかけていた机をばんばんと叩いた。板を支える金属の脚とそのまた下にある床とがぶつかって机からも笑っているような音が聞こえた。
「お前こわー」と友人が言い、「実は狂気的だったんだな」と俺が言うと、「サイコやん」と友人が言い、「マジそうだよ」と俺が言った。
「いやでも、殺すのは、めっちゃ悪いやつなのよ。たとえば自分の子供を捨てるようなクソ野郎を殺すのよ」そいつは、さっき食べ終わったらしいおにぎりのゴミを、両手でくしゃりとつぶしながら「殺されてしまっても仕方ないような、そういうやつを殺したとしたら、俺はどんなふうに語り継がれるんだろうって思わない?」と、続けて「物議をかもすかもしれない」と、言い「けど、もし俺の子孫が気を遣って、うちのご先祖様は善い行いをしましたって、罪人に罰をあたえました、みたいな、そういう言い方をしてくれて、そのまま語り継がれていったとしたら、どうなるんだろうなって」
俺はそいつにむかって「そりゃあ、あれだろ」と、何か言おうとした。けれど、上手く、言葉がでてこなくて「俺が言ってやるわ」と、半ば投げやりにおどけるように言った。友人が残りの焼きそばパンをいっきに口に入れてしまってから、「おお、何を」と煽り立てるように聞いてきた。
「俺が、あなたのご先祖様は別に善いことをしたわけじゃないです、人殺してます、って言ってやる」
「なんでその時代まで生きてるんだよ」友人が焼きそばとパンを咀嚼しながら言う。
「いいんだよ、気にすんなそんなこと。気持ちさえあればいけるわ」
「それは強い」友人は笑った。「そこまでしぶとく生きたことが後世まで語り継がれるかもな」と、これから人を殺すかもしれない友人が笑って言った。「それは頼んだわ、俺の後世」と、俺は言った。
二人が教室の後ろにあるゴミ箱に、それぞれ焼きそばパンのゴミとおにぎりのゴミとを捨てに立って、一人になったその一瞬。
俺はどこからともなくやってきた——群れをなすのかもわからないが、百や千と連なった蛇の群れのような——寂しさに、憑りつかれた気がした。
四
女は居間で横になっていたが、掠れた子供の声が聞こえ、ゆっくりと身体を起した。
その声に、見覚えがあったからだ。女はひとの声が色形をもって目に見える。女が五つの時に、その事に気がついた。
何処からか聞こえる子供の声は——それも女の子の声のように思える——なめらかな薄い紫色をして見えた。
百合の花に栄える筋のようでもあるが、今はもう夜で、辺りは真っ暗であるために、また違った趣を抱かせる。この紫色と夜の物寂しい空気は相性が好かった。闇に紛れて見えないようなことはなく、鮮やかな色彩を放って、女のまわりを流れていた。
女はその声が気になった。見覚えがあることもそうだが、声調の子供っぽいかわいらしさと、目に見える色から受ける感覚があまりにも掛け離れていたからであった。
女はいよいよ立ち上がった。
玄関からではなく、居間にある窓から庭に出た。夜の冷え冷えとした空気をサンダルと素足で挟みつつ、女は、声のする方へ、紫色のゆるやかな葉脈が流れ出ている方へ、歩いていった。
子供の声は泣いているようだった。涙を欲するように掠れていた。
声に近づくにつれて、色彩の細かな変化が理解るようになってくる。紫色一色ではない、壮麗な、金やトルコ石の粒子の混ざりが見える。互いに煌めきあい、互いにその結晶の輪郭を打ち消しあっている。だから、近づいて、よく見てみなければその混交に気がつかなかった。
女は、自分が何処へ向かう中途に居るのか一度も気にしなかった。場所や道程は重要ではなく、その声の主を知ることだけが、歩を進める唯一のしるしだった。
いつの間にか、近くを流れる小川に来ていた。
そこには、うずくまって静かに泣いているらしい子供がいた。
やはり幼い女の子だった。つやめいた髪を肩までおろして、自分で自分の身体を、浅く抱きしめるようにしていた。この女の子も涼やかなサンダルを履いていた。女は、少しだけ走って、近づいた。
「どうし泣いているのか」と、女は、全くためらうことなく訊ねた。
子供は顔をほんの数ミリだけ上げ、あとは目玉を上向きに動かして、女の方を見た。そうして、またすぐに顔を伏せ、泣き出した。
「教えてくれるか」と、女は訊ねた。
「泣いてしまうような悲しいことがあったのか」とも、訊いてみた。が、子供は、今度はこちらを見ることもしなかった。
「それじゃあ」と、女は声色を変えてから、「私も泣こうかな」と、言った。
すると、子供は顔を素早く上げ、ふたつの大きく濡れた目玉でじっと女を見つめた。
「そうもじっくりと見つめられると、さすがに泣きづらい」と、女は嘲るように言った。特別、この女の子を馬鹿にしたいわけではなかったが、自然とそのような、砕けた言い方になってしまっていたらしかった。
子供は、女を見たままで、あうあうと口を開いたり閉じたりしてから、両手のひとさし指を幼げな自分の耳に近づけた。
「耳をふさぐ」と、女が呟くと、子供は先ほどの口の動きと同じ要領で、頭を上下させ、頷いた。
「私のを、それとも、あなたのを?」女がそう訊ねた。
子供は、耳の傍に寄せていたひとさし指の一方を、ゆっくりと下ろした。そうして、下ろし切らないところで、ほんのりと曲げたそれを、自分の胸辺りに向けた。
女はそれを見て、両手を差し出した。軽く握ってから、ひとさし指だけをそおっと開いた。
それぞれを、子供の耳の穴に向かって進ませた。ぼんやりと、女の子の耳があからんでいるようにも見えたが、構うことはなかった。女はためらわなかった。両の指先を耳の穴に入れ込んだ。
子供は、女の子は、大きな目を固く瞑っていた。丘のように膨らんだ瞼がその証拠だ。
女もつられたのか、目を瞑っていた。
女のもとには、小川の潔白な水の音だけが心地よくとどいていた。女は、瞼を、音を立てぬように丁寧にあけた。目の前で、自分の指が耳をふさぐ女の子が、口を動かしている。今度は、さっきとは違う、もっと口元の動きは複雑だった。喉に目をやると震えていたし、きっと何かを、声に出して喋っていたのだろうけれど、女にはやはり、するすると水の流れる音のぞいては、何も聞こえなかった。
五
雨が降っていた。傘をさして外に出ても、足元から濡れてしまうほどの雨降りだった。
辺りを木々に囲まれた広場に来ている。
木々は、この時期、この時間、この天候では、夕闇よりも黒々としている。
広場には、輪になって踊っている人々がいた。ぐるぐると廻りながら愉快そうに踊っているので、数を数える気にもならない。踊っているのは、大方がずいぶんと歳を食った御老人たちに見えた。何となく見覚えのある顔もある。あれは加藤、あれは見知っているが思い出せない。隣は志村、その隣は判らないが、そのまた隣が湯口で、次いで藤田。藤田は藤田でも、かなり年老いた藤田だ。
御老人たちはそれぞれ違ったユーモラスな衣装を着ていた。朱の羽織。薄藍の袴。琥珀の吊り下がった首飾り。白の足袋、或いはそれを模った靴のようなものなのかもしれない。凝った意匠のイヤリング(八の字が幾つも重なっているようにみえる)に、特徴の無いハンチング帽。かと思えば、藤色の長い羽織、銀糸で渦巻模様が縫われた帯。首元には白襟が見え、翡翠や焦茶の数珠を幾つも巻き付けている者もいた。御老人たちは、ばらばらだった。踊りもばらばらだった。振りは皆おなじものを繰り返していたが、リズムがまったく違った。それぞれが別の音楽に合わせているかのようであった。実際、音楽はどこからも鳴っていなかったし、御老人たちには、別々の音楽が聞こえていたのかもしれない。それは、羽織のなびく音であり、袴の擦れる音で、或いは、履物が土を踏む音で、数珠のぶつかる乾いた音、筋繊維の喘ぐ音かもしれなかった。
左右の手を常に上げ、その高さを入れ替え続ける。腕の上げ下げに併せて、脚も動かした。左脚を鼠径部と膝を支点に上げ、右足に体重をのせれば、右腕が肘を伸ばし切らない程度に上がり、左腕が少し下がる。それが入れ替わる。次にも。また次にも。それがひたすらに続く。なみなみと水を注いだガラスコップから、別のガラスコップへ、中身を注ぎ直すみたいだった。
そう思うと、あたりの水溜りが、上手く注ぎきれずにこぼれてしまった水のように見えた。
踊りそのものに老いは感じなかった。ただ、彼ら——そしてまたそのほとんど男性だった——の顔を覆う皮膚や、足を高らかに上げたときに見える足首などは、明らかに年老いていた。皺がはっきりと刻まれているのである。それでも、息切れや嗚咽もなく、踊り、廻り続けていた。
彼らが輪を描いて踊るその真中には、金魚鉢が置かれていた。模様もなく、壺型の、意匠も平凡なものだった。
中には、金魚が二、三泳いでいるのが判った。赤いものと白いものが数匹。白い金魚にも、赤の斑点が大きく付けられていた。
取り囲む御老人たちと比べたら、それらは小さく見えてしまう。目立ちはしない。
然し、優雅だった。観る者を惹きつけているのは、その金魚たちであった。自らの泳ぎっぷりを顕示するわけではなかった。ただただ、鉢の中を、行ったり来たりするだけだった。竹骨の団扇が風をうけるときのしなりのように、あちこちのひれが舞っている。金魚は浮いているようにも思えた。本当は水など入れられていない。ただ金魚鉢があり、その中を浮遊する金魚が二、三ある。
金魚は、鉢と、それほどまでに馴染んでいた。また、御老人たちの不揃いの踊りとも。木々の深黒とも。水溜りとも。それが踏みつけられた泥の凹凸とも。総てが調和していた。
ただ、雨だけが、その妙なる均衡を崩すように降っていた。止んでいれば、金魚たちは本当に浮遊していたのかもしれなかった。
この御老人たちは、もしかすると、雨が降り止むことを天に願い、踊っているのかもしれないと、思った。ちぐはぐではあるが儀式的なのはそのためだろう。各々が、雨が降り止むことを願い、各々の意思で集まり、それぞれが個別に踊りはじめる。踊りは連鎖せず、誰かの真似をしているわけでもない。リズムは違えど、動きは自然と重なりはじめ、辺りには調和がもたらされる。
ここでひとつの事実に気が付く。
このまま踊り続け、雨が止むとしよう。そうなると、彼らが踊る理由はなくなる。彼らはそれぞれの家路につくだろう。きっとそこで調和は終わる。
さらには、金魚たちに渇きが訪れる。陽に照らされ、満ちていた鉢はみるみるうちにその透明な中身を失っていく。やがて、渇き切って、金魚は死ぬ。たったの一匹も残らない。
ああ。そのために、彼らは踊っているのだ。彼らは雨がさっぱり降り止むことを望み、おなじぐらい強く、雨が津々と降り注ぎ続けることも願っているのだ。
そう理解した途端、金魚鉢が大きな音を立て真っ二つに割れてしまった。
六
東京のほうで、フィンセント・ファン・ゴッホの展覧会が今度やると聞いた。自分は今、その展覧会に向かう途中であるらしい。
自分はそれに向けて色々と準備をしていたらしく、手にはチケットがある。前もって予約をし、買っていたのだろう。それも二枚持っていた。
私は以前からゴッホの絵が好きだった。彼の作品の力強い筆致を見るとき、そこに生命力が織りなす隆々たるうねりを感じた。それが何よりも刺激的だった。そこに私は惹かれた。顔立ちの美しい人であったり、背格好の好い人であったり、そういった造形美に見惚れるのと同じように、惹かれたのだと思う。
然し、実物は未だ見たことが無かった。画集に載せられたものやネットに転がっているパブリック・ドメインの画像しか見たことがなかった。
好きになってからこれまでに、屹度幾度か実物を鑑賞する機会はあったのだろうと思う。私に限らず、ゴッホは日本人に人気で、幾つかの美術館が彼の作品を買い取っているし、展覧会も何度か開かれていたはずだ。ただ、私は行かなかった。展覧会について調べることもしなかった。また、私は、ゴッホについて調べることもしなかった。
調べずとも知っていることはある。浮世絵に興味を持っていたこと。病気の療養をしていたこと。晩年になってから評価がなされたこと。拳銃自殺をしたこと(自殺ではないとする説もあるという)。そして、彼の描いた絵がどうしようもなく私を惹きつけるということ。要するに、私はゴッホ自身ではなく、彼の遺産に心奪われているらしかった。
最寄り駅のホームで電車を待っている。時計は今、二十六分ごろを指しているように見えた。電車がこのホームにやって来るのは、三十二分だとわかっていた。さっき時刻表を確認したからだろうか。
今から行く展覧会の目玉は、糸杉の描かれたあの絵画だ。
星の輝く夜空ではなく、月の見える明るい空に映える堂々たる糸杉が、もうすぐ自分の眼前に現れる。激しいうねりを具して現れる。
私は自分を想像した。
自分は絵画の斜め前に立っている。ギャラリーには多くの人が来ていて、真正面から見ることはまだできない。自分は落ち着いて、正面からあの絵画を見ることのできる瞬間を待っている。そこで考え事をする。——それも勿論ゴッホの絵についてだが。彼の絵はけばけばしい色彩に目が向けられがちだ。そこに色の棲み分けを取り仕切る輪郭はなく、ただ色だけが、混ざり合わない堅牢な性質を誇示するように存在している。そう思われている。つまりは、留まった形をもたず、中身だけが浮き出るようにして絵画空間が成り立っているということだ。然しながら、私は寧ろ、彼の描く形に目を奪われている。雲が動き、空が歪み、山が淀み、月が照る。それらを両断するように、糸杉が立ち上がり、辺りを忽ち草木が覆いつくす。絶え間なく揺らぎ続ける営みの、一瞬の形がそこにはある。それが、自分に見得るうねりだ。
うねりは、私の眼差しをその隆起の先端で傷つけ、同時に、傷口をその絶美な色彩が強く縫いつける。血は流れ出ないかわりに、縫いつけられた内側でゆっくりと渦を巻く。そうして私の眼は洗われていくように思う。
自分は駅のホームに居る。二番線で、自分が乗る電車が来るのを待っている。線路をはさんだ向こう側、三番線には電車が来ている。あれは自分の乗るものではないと確信していた。
向こうに止まる電車のちょうど正面の車両に家族連れが乗っているのがわかった。両親とその娘だろう。娘は小学校低学年ぐらいに思えた。座席に膝立ち、外の景色を見ていた。
その折、娘と目が合った。自分には、娘の眼差しがわかった。娘が車窓から景色を見ることは、私がゴッホの絵画を見るのと同じことなのかもしれなかった。自分はあの娘にとってのゴッホの絵で、非常に刺激的なものである。
気が抜けていたのか、自分は手に持っていたチケットの一枚をその場に落としてしまった。慌てて拾おうとして、チケットを持っていないもう一方の手を伸ばした。その手には拳銃が握られていた。いつの間にと思ったが、直ぐに自分の持ち物であると理解できた。恐らく、自分がゴッホから譲り受けたものだった。
拳銃を握った手でそのままチケットを拾った。そういえば二枚あるのだから誰かと一緒に行くつもりだったのだろうけど、誰と行こうとしていたのだろうと、思った。思いつきを掻き消すように唐突に電車がホームに入ってきた。ささやかなブレーキ音と車体が風を切る音が心地よかった。自分の身体が電車に引き寄せられるように、一歩踏み出したそのときだった。
ポケットに入れていた携帯が鳴った。
拳銃とチケットをもう一方の手に持ち替えて携帯を取り出した。携帯の画面には、ぼんやりと母からのメッセージが表示されていた。
帰ってこれるなら帰ってきて。兄が死んだから。
私はそこで目を覚ました。私は寝ていたのだった。私は夢を見ていたらしかった。夢の中の私がその後どうしたのか、私には分からない。
七
あの、背の高い樹の……上のほうにぶら下がって生っている果実が、どうしても気になってしまって、食べてみたい。視界から外せなくって困った。誘い出すような甘い香りがするわけでも、見た目が蜜柑や桃に似て、柔らかな暖色をしているわけでもないから、美味しそうにはまったく思えないのだが、無性にかぶりついてみたいと思ってしまう。実をつける樹木の幹は驚くほどに細いし、ごつごつと角張っている。地中を這う根がそのまま地上に飛び出て、仕方なしに葉を茂らせているかのようだ。それは、細身でやつれた背の高い男を目の前にしている気分になる——。
落果のまえに、あの実の甘さを知りたい。しかし、実に単純な話だが手が届かない。私の身長の低さゆえであり、高い足場もなければ、掴まれるような枝木もありそうにない。
そうしているうちに、果実に黴がはえてきた。海中に住まう珊瑚礁のような色彩をした実に、白い黴がじんわりと広がっていく。みるみるうちに広がっていく。初めは斑点のようで、次第に、その斑点同士が合流し、果実は段々と黴の珠と成ってゆく。私はそれを眺めることしかできない。かびて朽ちる果実の純なる甘味を想像し、無様によだれを垂らすことしかできない。せめても、枝先から果実が朽ち落ちてきたなら受け止めようと、そこで意を決した。——ただまあ、とはいっても、その時が来るまでにはまだまだ大変に豪奢な時間を要するだろう。
——しかし困った。その間、私は何をしていればよいのだろうか。
私は果実に目を凝らした。何かしらの変化を嗅ぎ取ろうとしたのだ。退屈しのぎであり、己の集中力の鋭敏さを試すためでもあった。そうでもしないと落ち着かなくもあった。いつ、なんどき、あの実が落ちてくるかもわからない。そうであれば、一瞬たりとも油断はできるはずもなかった。私がその間にすべきことは、観察と決まった。
観て居ると、果実の黴の上——それを絨毯か、或いは庭の芝生にでもしたように、小人が寝転んでいるのがわかった。小人は衣服の類を何も身につけていなかった。長く赤茶に透き通った髪の毛を高くまとめ上げ、大の字になって寝転んでいる。小人には性別がないと聞くが、何も纏っていない素肌に、そこはかとなく妖艶さを感じてしまった。その素肌も、髪の毛と同様に澄んでいたのだった。
その姿を眺めていると、小人は目を覚ました。上体を起こし、立ち上がり、果実を星とする重力の作用を見せつけるように歩き出した。私はそれを目の動きだけで追いかけた。
小人が歩き進んだ先には家があった。尤も小さな家であり、離れの小屋にも思えた。小人はそこに入っていった。私は又してもその後を視線だけが浮遊して追っていくことができた。
家の中、小人が居る。簡素な室内であり、壁にも床にも木目が残されており、森の中の温かな別宅を思わせる。小人はキョロキョロと家の中を見回しながら、ベッドへと進んで行った。私もそのあとを追う。
ベッドは清潔に保たれているようだった。枕、掛け布団、シーツ……。そういった寝具の細々たる所まで整えてあり、言うなればベッドメイクされたホテルの寝具のようであった。小人はそこに一直線に向かって行ったのだった。そうしてそのまま、音もたてず殊に静かに、布団を顔まで被り横になった。私の目線からは、丁度、高く結ばれた赤茶の髪の毛だけが飛び出して見えた。その様子が、なんともチャーミングで、可愛らしかった。私に、布団に隠れたかの身体を覗き見たいと思わせた。
私はその欲の導きを拒むことなく、——寧ろ従順なかたちで、目を布団の中に入れ込んでいった。
気が付いたときには、私は小人と添い寝をするような状態になっていた。横を見れば小人がおり、布団を捲れば、その身体が見得る。
しかし、小人を起こしたくはなかった。傍に居る者が能く能く眠りにつく姿を見て、起こしたいと思うものは何処にだって居ないだろう。私も漏れなくそういう心持だった。だから、布団を捲ることなく、あのとき見た艶美な身体を覗き見ようと試みたのだが、上手くいかない。布団がつくる陰は思ったよりも濃く、一時の努力だけでは、どうも、見ることができない。
どうしたものか。
しかしながら、どうしても見たい。見なければ気が済まないと思った。
次の時には、布団に手をかけて捲ってしまっていた。
布団を捲ると、室内の白々とした電気の灯りが一斉に注がれた。
偶々、灯りは丁度、小人の……これもまた雪やミルクのように白い身体を、丹念に照らすようになっていた。
大変に美しかった。捲りきらずに宙で止めた掛け布団のつくる陰と、それを反転したような真っ白な身体に、目を奪われ、沸き立つ感動を覚えた。頭蓋をほんの小さな欠片でぴんと撃ちぬかれたようだった。
純白、と言うには、どうもその……、生々たる皮膚の質感を表すには至らず……、また偶々光重なったこの今の身体が放つ聖なる雰囲気を表するには、疑問の余地もなく不十分な言葉だった。
緩んで、開いた口元から今にもよだれが垂れてきそうで、そっと手の甲で口元を抑えた。自分の手の甲に噛みついている気分になった。そのおかげか、私が、この眼前に据えられた小人の身体に喰いつきたいと願っていることがわかってしまった。よだれは好物を前にした野生の性ゆえのものなのだろうか。
私はじっと堪えた。
もし、欲に従い、野生的な行いに走ってしまえば、確実にこの小人は目を覚ます。
そうなれば、私には計りようのない罪悪感が芽生えるだろう。
そうなれば、私はすぐさま布団から這い出て——、いや、私のほうは固まって、動けないでいて、小人のほうが布団から飛び出し私を蔑んだまなざしで見詰めるに違いない。
そうなってしまってはいけない。決していけない。
今。今のこのまま。この光景のままに留めておくのだ。私は、布団を持つ腕や、口にあてた手だけでなく、自身の生体の活動を停止させるように硬直した。だが目線だけはぐるぐると動かし、目の前の小人の身体を仔細に見物していった。
脚部、その太ももから、股関節、薄らと見得る臀部の側面、腰、脇腹、臍、みぞおち、胸部の左右、右の脇、二の腕、指先、胸に戻っては肩に至り、首筋、そうして寝顔へ、と……。
視線を送って、私はようやく気がついた。小人は目を開けていた。じっと私を見ていた。ぐるりと身体を舐め回した私の目玉と、寸分違わず向かい合っていた。
小人は眠っていなかった。いや、途中で起きたのかもしれなかった。どちらにせよ、私と目が合い、私の存在を認知し、起きていた。私はあっと声をあげてしまった。
小人は直ぐに布団から出ていった。焦って飛び出るのではなくて、落ち着き払い、私のから視線を決して外すことなく、徐に出ていった。
私はそこで、只ならぬ後悔の念に襲われた。
起きていた。起こしてしまったのかもしれない。ただ、どちらにせよ、どうせ起こしてしまうのであれば、あの艶美な身体に一口かじりついてしまえばよかった。勿体ないことをした。惜しいことをした。堪えたせいで、二度と無い、何とも贅沢な好機をわざわざ逃してしまった。やってしまった。
そう思うと途端に抑えきらない情欲が湧き上がってきた。鼓動が一気に加速し、さっきまでの硬直が血の走る熱によってすべて一瞬のうちに溶かされていった。
私は布団から飛び出して、小人に掴みかかった。
小人は逃れるようにして少し体をのけぞったが、私が勢いよく伸ばした腕を避けきれず、私の手のひらは小人の肉付きのよい二の腕をがっしりと掴んだ。
私は逃がすまいと、皮膚同士の触れ合うところ、掴んだところの肉の感触を頼りにして、そして味わいながら——、掴んだ手にがっしりと力を込めた。
次に手を見てみると、然しそこに小人の二の腕はなく、ぐちゃりと潰れた果実が握られているだけだった。
果実の片が掌から滑り落ちる。
辺りには、潰された果実の、能く熟した、染みつくような甘い匂いが漂っていた。
八
海辺の家に居る。小高い丘の上の、こぢんまりとした木造の平屋である。中も簡素で、必要最低限の家具——テーブル、椅子、冷蔵庫、洗濯機、幾つかの棚と灯り……——しか置かれていない。いわゆるミニマリストとも呼べる暮らしが、この家ではできるだろうと思う。ここには、妻と二人で、慎ましやかに暮らしている。子どもはおらず、また、この家は村落から離れて、孤立をしているから、近所付き合いもない。
この家は、単純な造りや内観をしてはいるが、全く特徴がないわけでもない。例えばだが、この家を支える木材は、上質で、優れた代物を使用していると聞く。それは目で見ても、当然のこと、手で触れてみると余計にその質の良さというものが伝わってくる。ただし、感覚の鈍い阿呆では、無論、その他の木材との違いが分かるはずもなく、今しがた帰った客人などは、これは非常に上質で品がいいですねえなどと、誤魔化しの世辞を言っていた。
一体何が、他と比べて上質なのかと言うのはとても難しく、一言では語り尽くせない。筆舌に尽くしがたいとは、まさにこの木材の、木目や香り、触感、強度、柔和さ、湿度調節および密閉性の妙が為すあらゆる事柄を指しており、ぺらぺらと、ひとつひとつ語ってしまうことのほうが無粋だというわけだ。
ただ、もう一つ特徴を……特徴というよりも、住人ではないものからしたら奇抜だと思われる所が、この家にはある。
それは、窓である。この家には窓が4つ設けられており、丁度、東西南北に向けて、均等に対角になるよう配置されている。東には東の窓、西には西の窓があり、北、南と続く。結べば見事な十字ができあがる。各々の窓に、変わった所はない。簡単なガラス戸である。違いもなく、それぞれ全く同じである。ただ、方角が異なり、であれば、そこにうつす風景もまた異なる。東の窓は、離れた村落を、夜にはその村の営みの灯り、朝には日の出をうつす。西はそのネガであり、真っ暗闇と日の入をうつす。北の窓はというと、東西のとは異なり、山肌をうつす、質素な窓である。というのも、この家が真後ろに、反り立つ崖を背負っているからで、北の窓の風景はそこで奥行を無くし、突き当りになるのである。しかしながら、目を凝らしてみると山肌も幾分か面白味のあるものだ。特有の凹凸。岩と土、土と砂、岩と粘土。幾重にも層になった壁面を、苔が少し覆う。雨が降れば、山肌は濡れ、色調は深みを増し、緑は潤う。時折、山脈をみみずが這う。落ちそうで落ちない瀬戸際でもって、壁面をつたい、やがてフレームから去っていく。ふと目をやり、そのようなみみずの登山を見つけると、性懲りもなく得した気分になり、後を追いかけたくなってしまう。
北の窓から外へ出て、土壁をつたい、岩肌を登り、砂と水気にまみれたのち、残りわずかな力を振り絞って、後ろを振り向けば、そこには大海が望める。その景色は、苦労をして山肌を這い上った後でなければ、全くの無乾燥にもうつるだろう。あと少し、ほんのわずかでも、足を滑らせたならば滑落してしまう、そういう窮地に居るからこその眺めなのである。
波の往来を見る。波音よりも、水の動きのほうが早く、音と動きのずれはひらくばかりで、もう手遅れなのだろうと思った。水平線ほど退屈なものもないので、浜辺に視線を向けた。
砂浜の、波打ち際を歩く男女がいた。男が先を行き、女が後ろから手を取りながら歩く。彼らの足には波が当たっている。彼女らは気にしていない。足が浸り、水しぶきが裾を濡らしても、気にせず二人は、浜の曲線に沿って歩いている。
浜辺の中ほどで、男の足が止まった。女も同じように足を止めた。それは自分の意思、というよりも、前を行く男が止まったから、という自動作用としての停止であった。
男は、後ろに向き直した。女のほうを見つめる体勢をとる。女も、男の手を取ったまま、男と視線を交わし、激しくもなく穏やかでもない波が、相愛の高まりを寄せ返すムードでもって、演出する。誰が見ても恐らく、次にこの二人は、互いの体を抱き合うだろうとわかる。次いで口づけをし、より一層に、きつい抱擁を——、……そう思惑を重ねていくと、無性に、彼と彼女、二人があそこにいることが、腹立たしく思えた。ふいに沸き立つ、アレルギー性のむかつきであった。
そうして、まさに今、張り付いていた崖の、岩肌を勢いよく蹴とばした。
これから抱き合う二人のもとへ、飛んでいくためであった。一瞬の視線のうちに、丁度、目を閉じて抱き合う二人の、安らいだ表情と、密着した肢体とが見え、その背後には、水平線まででおさまるよう、限りなく短縮された海原が見えた。ただ、直ぐに、そのどちらもフレームから消えてしまった。
九
近くのカフェに来ていた。
ここに来るのは決まって勉強のためだ。家ではどうにも集中ができない。誘惑が多い。加えて、家には母親が常に居る。邪魔をしてくるわけでは勿論ない。だが、誰か人の動きがあればその分気が散ってしまうし、視線が勉強用具だけに定まらなくなってしまう。
ただ、そうなってしまうのも母親がこちらを気にかけているからで、それ自体はありがたいことだ。
そういった諸々の気遣いも含めて日頃の感謝を伝える意味でも、こうして勉強に出た帰りには、今いるカフェのふたつ隣にある雑貨屋で何か小物を買って帰るようにしている——。
……。……、…………。
ありがたいことはありがたいので、こうして勉強に出た帰りには、このカフェのふたつ隣にある雑貨屋で何か小物を買って帰るようにしている。小袋に入ったグミや焼き菓子の類でもいいし、可愛らしい人形や小さい塑像の一角獣、人魚、トカゲ、狸、狐、あるいは三角帽を被った小人などを買って帰る。
そもそもそんなに頻繁に勉強に出かけるわけではないのだが、それでも毎回毎回、持って帰っていると家には雑貨類が溜まってくる。
それはまた、そこの雑貨屋が、よく品物を入れ換えているからでもあった。つまりは、ある程度網羅的に品物を買って揃えたとしても、次の週あるいは次の月にはもう、あの時のあの菓子類や可愛いらしい人形などは、どこにも無いということであって、買う側としては、また一から新しく入荷した商品を揃えたくなってしまうのである。ある折には、山高帽を被った同じ人形の色違いだけを、妙にたくさん置いていたことがあった。
僕の家の中、壁に沿って設置された木製の不揃いの棚には、人形が、これもまた一見不規則に置かれている。その実、買ってきた順番に並べているので、規則と言えばあることにはあるのだが、側から見れば、モチーフも色も、もっと言うと、意匠もまるで違い、同じなのは大きさぐらいであるために、誰の目から見ても無造作に見えてしまう。エナメルのような艶のある青色の一角獣の隣に紅色の一角獣、ガラス製の人魚と続き、木彫りの人魚がその横に置かれている。その下の棚には、毛並みまで実に写実的に彫られた狐が、尾や瞳、身体の向きを変えて三、四匹と置かれているかと思えば、すぐ隣にはまた、彩り豊かな人魚や豚、牛。本物と見紛うほどに精巧に彫られたトカゲ、二等身にデフォルメされた狸。高さが疎な棚は、言ってしまえばこの人形たちの集合住宅のようなものであった。ただし、団地みたいに一斉に建てられたのではなくて、後付けで、開発を重ねていった結果であるが。
人形以外にも、買ってきた菓子類の小袋も飾っている。一つ一つ、必ず額に入れて壁にかけている。家の壁は、この空袋のタブローで埋め尽くされている。そしてこの壁掛けの額も不揃いであって、その意匠から新古まで、バラバラである。それらを上手くパズルのようにして飾り足し続けているのだった。
いつの間にか家に帰っていた。あたりはもう暗い。夕暮れである。いつも通り、手にはあの雑貨屋で買った手土産が、今回は小袋のチョコレートクッキーがある。母は、クッキーを食べるときは、袋の上から砕いてしまってから、粉状になったものを食べる。菓子の入った袋をチラッと見た。中にはチョコレートクッキーがぎっしり詰まっている。これからこのチョコレートクッキーは全て粉々になってしまうのだから、慎重に持って帰る理由がどこにあるのだろうかと思い、気がついたときには、手に持った袋を家のある方へ向かってぶん投げていた。小袋は手を離れ、こちらが 走るよりもずっと速く前方に飛んでいってしまった。落下と同時に、薄っぺらいビニールが守りきれなかったチョコレートクッキーの砕けるぱしゃりという音が聞こえてきた。既にしずまった住宅街のせいで、この音が恐ろしく、よく聞こえてしまい、急に、宙吊りにされるような罪悪感に襲われた。
私は落下したところまで走った。身体は軽い。地面に足がついていないかのようである。落下したところはちょうど、自分の家の真ん前だった。ゴルフであれば素晴らしく良い軌道である。
小袋をアスファルトからひったくると僕は視線を上げた。
すると、家のちょうど庭の辺りで、赤色の光がなびいているのがわかった。光は影のように壁面やそこら中の表面を這い、家を抱きかかえて揺さぶりながらこちらまで凄まじい速さで向かってくる。
私は光の正体が何であるのか瞬時に予想し、ひとつの最も信憑性のある結論に辿り着いたときには、私の鼓動の大きさは更にひとまわり増していた。
私は敷居の内側に力いっぱい飛び込み、その勢いのまま、光源の方へ駆けた。
瞼を引き上げ、視線を送る。そこには母が居た。母の隣には、静清に燃える火があっ——。
…………。……、…………。
僕は母と二人で暮らしている。兄弟も、姉妹も、祖父母も、親戚もいない。この家に居るのは、僕と母の二人だけである。けれどもそこまで寂しい思いをして暮らしているわけではなく、仲良く、そしてお互い朗らかに生活している。だから、不自由さはあっても苦痛はない。
この頃僕は、家に帰るとすぐに学習塾へ向かう。受験勉強のためだ。周知のように、親は子を気に掛けるものであって、特に僕が直面しているような受験期といった一大イベント(一生における明確な分岐地点という意味で)のときには、子以上に親はあれやこれやと、要らぬことも含めて考えてしまうものだろう。少なくとも一般論としてはそうであるはずで、僕の母も同じように僕を気に掛けている。
だから、家で勉強をしようものなら、ちらちらと頻繁にこちらに目をやり、お茶を淹れ、小腹が空きそうなタイミングがあればおにぎりだったりチョコレートだったりをそっと机に差し出してくる。ありがたいことだし、迷惑などとは全く思っていない。ただ、そこはかとなく監視と重圧の視線を感じる。なのでその視線から逃れるようにして塾という勉強場所を選ぶのであって、僕としてはどこであろうと集中はできるし、特別こだわりをもってルーティン的に取り組んでいるわけではなかった。
ただ、塾の帰り道に必ず寄るところがある。塾には、学校終わりにすぐ向かい、授業がある日はひとつふたつ受け、十九時過ぎには出るようにしている。その帰り道、毎回、小さな雑貨屋に寄っている。小洒落た欧風の外装で、住宅とコンビニだけで、何があるわけでもない帰路にはよく目立つ。店の入り口に、その上部で光る、ステンドグラスのようなガラス片に囲まれた極彩色のライトがあり、それが特によく目立つ。昼間は灯りも消えているしガラス片もくすんで全く目に入らないのだが、夜、ちょうど僕が帰る頃になると店の、これより他ない色彩の看板として素晴らしく惹きつけるのである。実際、僕も初めて店に入ったのはこの色彩にあてられたからで、恐らくこの店に来る人の大半が同じ理由だろうとすら思う。
この雑貨店で何をするのか。僕はいつも、商品のうち何かひとつを買う。値段は特に関係なく、(そもそも高級品は置いてないのだが)目についたものを手に取ってそのまま熟慮することもほとんどなくレジへ向かって買う。
ある日は青のボールペン、ある日は馬の白い置物、またある日はスナック菓子などで、新しいものから古いもの、可愛いものから汚らしいもの、必要なものから必要ではないもの……。
そしてそこで買った物は、僕のものではない。これはお土産なのである。僕から母への、些細ではあるかもしれないが、僕の気持ちで、僕が選んで、僕が買う、しかし特別でも記念でもない、だからプレゼントでもない、母に向けたお土産なのである。
母は毎回、そのお土産を嬉しそうに受け取ってくれる。喜びをそのまま表情や言葉にして出すわけではないが、にこっと笑って「ありがとうね」と言う。
母が受け取ったお土産は全て、家にある。それも物置などにしまってあるわけではなく、全て棚に飾ってある。居間にあるガラスケースの棚には一面に僕の買ってきたお土産が詰められている。壁掛けの木の棚にもほとんど隙間なく並べられている。消耗品や生鮮物ではない小物は、貰ってその場で飾られる。飾るスペースがもしなければ、「ちょっと待ってね」と言って、テーブルの上に置いて、僕が次にどこかへ出掛けたときには棚が増えており、そこに置かれている。食べ物だとかの場合は少し違って、まず食べてから、その空袋が飾られる。それも綺麗に洗って、干して、飾るのに限りなく清潔な状態で。そこまで徹底しているのに、開ける時は大抵雑で、袋なんかはびりびりにしている。あとは飾り方も雑だ。初めのうちは丁寧に並べていても、数が増えてくると隙間を埋めるようにして飾りだす。次には積み上げ(プラスチックのカップ同士を重ねる、ブロック状、平たい物、薄いビニール……)、組み合わせて(椅子同士、馬と人、傘と針山、人形の腕は大きく開かれラックのように)、そうして次第に豊かな色彩の、文字通り宝の山ができあがっていく。いや、それは山というよりは人工的で、建築物、お菓子の家、煉瓦積みの、石垣の、そういう類の城である。あるいは——。
今日は帰りが少し遅くなってしまった。居残り、というわけではないが、かなり苦戦した数学の問題があり、ひとつは解決したが、結局芋づる式に分からないところがあらわれ、教えてもらうのに時間がかかってしまった。数学はそこが苦手だ。大問一の一ができなければ文字通り門前払いで、それから後ろには行かせてもらえない。全く寛容ではないのだ。どれかひとつでも理解できる、これだけはわかる、という甘っちょろい啄みは切り捨てられる。
ただ、別に特別苦手で理解できないわけでもない。ただ少し時間がかかるというだけの話で、今日みたいに見落としさえなければいい。
そんな、強烈な自己擁護の言い訳をあれこれ思い浮かべながら帰路に着く。
あ、と思う。あの雑貨屋さんに寄らなければいけない。
いつも通り、家へと真っ直ぐに続く道のりから逸れる。雑貨屋さんは少しはずれたところにあるので、ひたすら真っ直ぐ歩いているだけでは見つけられない。工夫が必要で、そういう店を発見する嗅覚が必要なのだと思う。僕にはそれが無自覚ながらも備わっていて、それに引き寄せられるようにして、まるでカレーの匂いに惹かれるようにして、あの雑貨屋に辿り着いたのだ。今はもう道を覚えているし、誦じることだってできる。僕は大仰な馬鹿ではないから。
角を曲がる。歩く。少し歩いてまた曲がる。右へ。そこからしばらく歩いて、今度も右へ曲がる。歩く。歩く。そして、あの角で、左へ曲がる。
あれ……? おかしい。いつもならあの角からもうすでに、雑貨屋の、あの極彩色の灯りが目立って、漏れて見えるのに。今日はそれが見えない。
帰りが遅かったからか。いや、それでもまだ十九時台で、もうすぐで二十時といったところだから、ギリギリまだ開いていてもおかしくないのに。早めに店じまいをしたのだろうか。その可能性はあるし、そこまでお客さんも入っていないから……、うん、あるかもしれない。
あの角まで来だ。灯りのない暗がりの、そうであれば住宅街の普通の曲がり角だ。なんだかドキドキして、意を決して左を向く。
するとそこには、いつもと同じ佇まい、いつもと同じ明るさの雑貨屋さんがあった。よかった、と思い、あの心配はなんだったんだと繰り返すようにまた思った。
雑貨屋さんは二十時半まで営業をしているらしく、全くの杞憂であったことがわかった。
本当の、帰路に着く。寄り道をしているといっても、全く反対方向というわけではなく、家のある方面へ近づいてはいるので、お店を出てからは近い。しかし、曲がるところは特になく、ひたすら真っ直ぐ進むだけで少しばかり退屈だとも思う。しかし、それで着けるのだからそれ以上の安心はない。退屈は安心を呼ぶ。なので、その安らぎに身を任せとにかく歩く。
あと少しで家に着く。安心は一歩一歩増していく。この安らぎは家に着いたとき、その目的地に踏み込んだときに頂点に達する。家の外で溜めた疲労やら何やらが一気に流れ込む。そういう意味での家を僕は知っている。
しかし、今日はやっぱり少しおかしいかもしれないと思った。というのも、家の方から、今度はあの角になかった灯りが、漏れ出ているのである。僕の家はお店ではない。お店のようなワクワクは死滅した、安楽の棲家であるのだから、あのような光は似つかわしくない。
なんだろうか。極彩色ではない。あの雑貨屋さんのような、煌びやかで、固着した光ではない灯りが漏れ出ているのがわかる。もっと単一で、質素な色味。変則的な移ろいがあって、空気に色が付いたような、風が可視的になったような、そんな不安定さがある。なんだろうか。家に、近づくにつれて灯りは、その光源にも近づくゆえに、強くなっていると感じる。しかし、それがなんであるかは分からない。ただ揺らめくオレンジの灯り……。——……!!
次の瞬間に僕は走り出していた。一目散に光源の方へと。
玄関の、ドアの前まで来て、さらにその灯りは自身の居場所を知らせるように激しさを増す。目眩がするようだった。橙の光が家の壁面つたい視界に入る立体をぐにゃりと歪めている。光源は庭にある。庭といってもほんの狭いもので何が置いてあるわけでもなく、かといって荒れ果てているわけでもないつまらないものであるが、今はそこに心をかき乱す光がある。壁を這う光のしるしを見ればそれがわかった。
さっきとは打って変わって、落ち着いた歩幅で少しずつ庭へ向かう。息を止める。気づかれたくないわけではない。ただ、……止めている。
そっと庭を覗く。
熱い。
庭には、火があった。膝丈ほどまで燃えがある火が焚かれていた。光は火だった。揺蕩う火であった。焚き火であって、その火のすぐ側には母が立っていた。あまりにも近くに立っているので母は焼かれているようにも見えた。着ている服も手足も、顔も瞳も、全て同じ光に包まれ同じ色をしているからだ。
夜の黒よりも濃く差し込むその光の、その火の種は、よく目を凝らしてみると、いやよく見ようとしなくても判っていた。
そこで燃えているのは、青のボールペンや馬の白い置物やスナック菓子の空袋、たくさんの雑貨で、たくさんのお土産、たくさんの宝だった。
母はそれらを燃やしている。僕は母を見、宝を燃やす火を母は見る。その眼は、明るく、豪華に燃えていた。
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