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なくなる校舎,思い出の場所


数年前、新聞に母校の大学校舎が移転のため取り壊されると記事が載った。
歴史的に価値ある建物も多いため、取り壊し前に見学会があるとのことだった。

まさか、という気持ちがした。

当日、カメラを持って見学会に参加した。

大学最寄りの駅は、すでに大幅に改築され駅名以外はよそよそしい見知らぬ駅になっていた。

こんなもんかな。あれから時も経ったし。

変わり果てた街をうろうろしながら目的地へ向かう。


集合場所の大学正門前に立った時だった。

一挙にタイムスリップしたような懐かしい感覚に襲われた。古い同級生にばったり出会ったような不思議な感覚。

一浪して入った大学、昼夜逆転の暗い受験勉強の後の解放感にあふれた学生生活。
この正門を何度通ったことだろう。
ざらざらした赤レンガの正門の柱を触りながら今日来てよかったと、もうすでに思ってしまった。

大学の構内は広く、多くの校舎が立っている。古い校舎は当時のままだ。
当時は気にも留めなかったが、ある校舎の入り口の天窓が人気のあるステンドグラスだったり、優雅なデザインの手すりを持つ階段だったり、見学会担当者の説明によると、有名な建築家のものも多いらしい。

いくつかの学食(学生食堂)も見ることができた。
ほとんど私の学生時代そのままの所もあった。
今にも当時の学生仲間が声をかけながら出てきそうな気がした。

待ち合わせや、時間つぶし、勉強の場所として、安い学食は学生の溜り場だった。

医学部や工学部、農学部と、いろんな学部が構内にあったのでそれぞれの校舎や教室、学食を一人で見て回るのが当時の楽しみだった。学生で溢れ、どこを見ていても飽きなかった。学部によって学食も古めかしいところや明るい現代建築のようなところもあり、味も違って面白かった記憶がある。
私は法学部だったので、理系の白衣を着た学生や研究室、実験室の様子はほとんど異世界のようだった。いったいどれだけの教室があり、どんな人間が関わっているんだろうとワクワク胸を弾ませていた。

田舎から出て一人暮らしになり、最初は友達もなく大学図書館や大学近くの喫茶店で時間をつぶしていた。暗く地味な浪人生活に比べると見るもの全て新鮮に見え、毎日があっという間だった。
次第に仲のいい友達や先輩ができると、大学は居心地のいい場所になった。
夜も当時は構内に入れたので、夜中まで研究している実験室や教室の窓明かりを見るのも感動だった。ああ、自分は苦労したが、大学に来れたんだと親に感謝した。
勉強もしたが、狭い自分のアパートの部屋で仲間と朝まで語り飲み明かしたり、貧乏旅行したり、恋の真似事のような経験をしたり、エスペラント語研究会に入ったり、美術愛好会を作ったり、家庭教師やガソリンスタンドのアルバイトをしたり、生まれて初めてのいろんなことをした。
それまでの高校や浪人時代、成人後の社会人時代にはない自由と勉強と遊びを味わった。 あの4年間は私の人生の中で今でも明るい思い出だ。

見学会の担当者は、あちこち説明しながら構内を見せてくれた。移転前の構内は学生も少なく、すでに廃墟のように入り口を閉ざされた暗い校舎もあった。

夕方近くになり、見学会も終わった。

振り返ると、暗くなり始めた構内に黒く明かりのついてない校舎群は大きな墓場のようだった。

寂しい。


あの光り輝くような学生時代は遠い昔の思い出だけになってしまった。

もうこの場所に来ることもない。おそらく今日撮った写真も見ないだろう。


今になって本当にこのキャンパスの古い校舎に感謝している。

もうなくなる、私の青春の場所。



絵 マシュー・カサイ「西日の中の大学校舎」 水彩・ペン

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