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嬉しい報告を聞いて

先週、学校に大学生から電話がかかってきました。
Azuna先生、「〇〇大学の〇〇さん?」からお電話です。

・・・大学?と思い電話に出ました。
すると、昨年度今の学校に来ていた社会の教育実習生でした。

教育実習自体は私が担当していたわけではないのですが、初任校の、1、2年目の時に社会を教えていた、つまり教え子でした。
3年目からは特支に配置換えになったので、初任校で社会を教えた数少ない生徒たちの中の1人です。

教育実習をしていた時は、教員になるかどうかは迷っている。ならないかもしれないと言っていました。ただ、授業がとても上手でした。担当ではありませんでしたが、何度か見に行きました。

中学時代、私のなかなかひどい授業を受けていたのに、社会科に興味をもってくれたのが嬉しかったです。当時は社会科の内容もそうでしたが、生徒指導面でもうまく授業ができていませんでした。あの時の教室の雰囲気を今でもよく覚えています。



そんな初任時代の私を、はるかに超えるほど、彼は充実した授業をしていました。
実習最終日に当時の社会のノートを持ってきてくれました。授業の中身としては薄っぺらいものでしたが、一生懸命書かれていて、しかもそれを保管してくれていたのが嬉しかったです。


授業は上手だったけど、先生になるかどうか分からないと言っていました。
自分自身、今の仕事に迷いがある中、実習生にすらも、100%おすすめできる状況ではありません。


あれから、彼はどうなったのかなー。と思っていた中での電話でした。
用事は別にあったのですが、電話を切る直前に、採用試験に無事に合格したと報告がありました。

受けるかどうかもわからなかったので、本当に嬉しかったです。


いつかどこかの現場で一緒に仕事ができたらと思います。
そのために、私もさらに努力を重ね、授業スキルを磨いていかないといけないと感じました。


最近、自分がどうして教員になったのか、そしてどこへ向かっていくのか分からなくなっていました。

何か自分の言葉が、行動が、授業での一場面が、生徒の進路選択になにかしらの影響を与えられれば、と思ったのが原点だったと思います。

だからこそ、具体的な進路選択に大きく関わる高校の教員になりたかったのですが、中学だからあまりそのような場面はないと諦めていました。


もちろん、生徒たちに、将来私のような教員になりたいと思ってほしいわけではありません(むしろ私のようにはならない方が良いです)。
でも、こうして将来を考える何かのきっかけになったことが、やはり嬉しくてたまらないです。

成果というか、結果というか..このような話というのは、一生懸命頑張っている最中に出てくるものではなく、時間をかけて、忘れた頃にやってくるギフトのようなものだと感じました。今回の話でいうと約10年後です。


1本の電話から、教員として、私にもまだまだ出来ること、やるべきことがあるかもしれないと思った、という話でした。

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