アフリカから茶の都・静岡へ
ふじのくに⇆せかい演劇祭2024 「マミ・ワタと大きな瓢箪」
アフリカ、伝統舞踊、バレエ、そしてコンテンポラリー・ダンス……
5月5日・こどもの日に静岡県コンベンションアーツセンター(グランシップ)の交流ホールで上演された「マミ・ワタと大きな瓢箪」は、たった40分間で根本的な、踊ることの楽しさ(というとなんだか体育の時間の「この授業の目標」みたいな感じになってしまう気がするけど)と、言語を学ぶという以前の異文化交流を魅せてくれた。
演出・振付・出演は2010年から静岡県舞台芸術センター・Spacとのプロジェクトを手掛けている、カメルーン生まれのメルラン・ニヤカムさんのみ。
マミ・ワタと大きな瓢箪 | ふじのくに⇄せかい演劇祭2024 (festival-shizuoka.jp)
冒頭、白く長い髪と白い手作りスカートのような格好で顔を覆い、身をかがめてひっそりと上手から登場した。舞台中央に来ると、後ろ姿でフラのアミのように腰や肩を細かく動かしながら、ボヤッとした白色のシルエットをつくっていった。そのシルエットで細かく身体を動かしながら、だんだん腕をなめらかに、ゆっくりと空に上げた。その腕が、女性的な白色のシルエットとは反対に力強い男性のような腕であった。この様子からしてマミ・ワタは人間的な女でも男でもない、女神なのだということを認識した。
それから、正面を向く。冒頭のひっそり感からして、何か得体のしれない神様なのだろうかと思いきや、違った。正面を向いたときの表情はもう、観客を楽しませるためにあるようで、笑顔を振りまいてくれた。
正体を明らかにしたマミ・ワタは、そのあと自由に踊る。自由にとはいっても高度な技術に裏付けされた踊りであることは明らかだった。小さい舞台なのに、隅から隅までジャンプして高速で回ったり。アフリカの土着的な曲と思われる曲に合わせ、しかしなんとなく自然発生的に踊るのではなく、作品として観客を魅了してくれた。
いったんそのすごいダンスで観客を圧倒させたあと、今度は鼻歌を歌い始める。そしてフランス語で「春ですね。女性が美しい季節です」とお茶目に言い、口紅を何重にもつける。そして客席を回り何人かにキスをしたり腕に口紅のペインティングをしたり、瓢箪を観客やスタッフに配ったり…。あのダンスの後のこの滑稽具合に、客席は笑いが起こった(笑)。まるでコントでも見ているかのような。また、瓢箪を頭に乗せながらそれらの動きをしていた。バランス能力高すぎる…!
白い長髪のカツラもスカートも取り、マミ・ワタはパンツ一丁になり、そのイメージする姿からほど遠い見た目になった。マミ・ワタの本当の姿?顔を白塗りにしたマミ・ワタは、「私の身体に色を塗ってアート作品を作ってください」と言った。高校生たちが申し合わせたように舞台上に飛んで行って、せっせと色塗りをしていた。マミ・ワタの表情やポーズが面白くて、色塗りをしている間、観ている側は退屈しなかった。
顔を白塗りにして身体はカラフルにする。これは、いったい何を表しているのだろう…わたしの乏しい知識では舞踏かと思ったのだが、舞踏にしては表情が豊かだった。一緒に観に行った知人は対西洋的な意識ではないかと言っていた。
そのあと再びカツラをつけて頭をグルグル回すのは圧倒的だった。舞台の陰影を活かして頭を回すうちに観客は何か超人的なもの(マミ・ワタという女神)を見せられているようだったからだ。
あと、ここは静岡県のグランシップの"交流"ホール。マミ・ワタは突然、「茶摘み」のメロディーを口ずさみだした。さすが神様、なんでも曲をご存知で…。そしてみんなでなんと、合唱!した!盛り上がった!
ダンスが言葉に寄らないコミュニケーションであるということ。それは就職活動でさんざん言われた「メラビアンの法則」につながる部分があるだろう。言葉の内容より視覚情報の方がコミュニケーションにおいて影響が大きいというもの。言葉を介さずに、いつの間にか異文化交流をしていた。
マミ・ワタはそれに加え、最初の方にアフリカの音楽、あと有名な映画で用いられた有名な音楽(名前が出てこない)そして静岡県ということで「茶摘み」という具合に、その国や民族の歌を口ずさんでいた。【いま・ここ=茶の都・静岡県】でのアフリカの神話に基づくコンテンポラリー・ダンス公演でありながら、土着的な要素をサラリと盛り込みつつ、楽しませてくれた。
楽しかった。あんなに笑った公演は初めてだった(笑)。わたしの右隣りに座っていた人とそのまた右隣りの人は、おそらく初対面だっただろうが、公演後、話が盛り上がっていた(笑)。
ニヤカムさんの人を巻き込む力、すごい!!