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いつでも殺せるからどーでも良い

 今日喫茶店に行ったら女子大生たちが就活の話をしていた。ぼくは以前〈言葉に光がない〉という文章を読んで難しがっていたけど、実はこのような会話のことを言うんだなと思いながら、ぼんやりアイスコーヒーを飲んでいた。

 この店は平日2時間が限界だからボチボチ出て行かなきゃいけない。クソ暑い中をどこへ行こうか考えて、銀行に行く用事を思い出した。別に明日でも構わないけど、道中の唐揚げ屋で弁当の安売りをしているんじゃないか?というのだけが気になって、結局いま上げた通りに予定を済ませた。

 数日前に正社員の面接を受けて、今日無事に採用された。余裕である。ぼくは見かけの好青年感で経歴の不備を誤魔化してきたから、今度もそうしたら上手くいった。捨てる神あればなんとやらというように、ジンセー選択肢を選り好みしずに飛び込めば、行き止まることはないようです。なんとかなるって言葉の無責任感は嫌いだけど、なんとかならないわけがないと思う。これはあくまで僕の経験則であって、今後変化どうするかは分からないが。  

 矛盾を恐れてはいけないと思う。時にはウソも必要だ。バカ正直に自己開示する価値のあるほど、誠実な社会ではない。

 昨日知人から〈MBTIなに?〉というラインがきた。ウザかった。ぼくはこの人と最近上手く行ってないから、きっと「あ~INFPだからそんな感じなのか笑」程度の材料にされるのが目に見えている。この人は全くの純粋な衝動から行動することはない。必ず意図があって言葉を発し、行動を起こす人間だ。逆にぼくは現実の弾力に期待して、可能な限り衝動に身を任せて生きている。行ってダメなら戻れば良い、という考えだ。思想に前後左右があるならこの人とぼくは丸っきり逆だ。にも関わらず、幼なじみというチープな共通点、親同士の深謀によって仲いいフリをしてきた。彼はぼくを親友だと語るが、ぼくは彼を親友だとは思わない。

 〈INFPだよ〉と送ると〈やっぱり笑〉と言われ、死ねやと思いながら夕飯を食べた。時々聞こえる救急車のサイレンが、この町でぼくはひとりじゃないってことを教えてくれる。
 初対面の関係なら分かるけど、数十年の日々を共に生きながら話題がMBTIってバカじゃないかと思う。もっと語るべき事情をもて。あんな分類どーでもいいだろ!と呆れる。

 ぼくは自分がINFPだからといって、なにかこの性格に対する新たな視点を得たとは思わない。人間、そんなカンタンに出来てるもんか。ぼくには精神障害がある。朝と夜では体調も考え方も違う。さまざまな矛盾の中を生きているから当然だ。みんなだってそうだろう。それを日本語のおかしな質問に答えて、わーい俺は全人口の何パーセントに属してるんだって、なんて惨めなんだろう。

 彼は月に数回はMBTIを受けるそうだ。もうなにも言うまい。気が合わないのでさようなら、とだけは言いたい。

 ツイッターを見ていると何気ない日々を語っている人がいっぱい居る。本来なら友達相手でさえ躊躇うような話題を、ぽろぽろクッキーがこぼれるみたいに投稿していて、ぼくはそれがたまらなく好きだ。noteを書くのは難しいって書いてる女の子がいて、ぼくは貴方の文章が好きだからアカウントを知りたいと言いたかったけど、言えなかった。意気地なしなんだ、可哀想に。

 今日の夜は唐揚げ弁当を食べる。そんで、た小説を読むだろう。明日はちょっと面倒な予定がある。絶えず、進むことだ。現状打破においてぼくは、限りなく自由でありたい。

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