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それでも腹は減るし生きてゆく

 チェーン店で350円のバカでかコーヒーを飲みながらこれを書いてる。最後にノートを更新したのはいつだろう。2週間前と予想するが、そんなのは至ってどうでもよい。言いたいこともないくせにキーボード舐め舐め作文するような性癖はないので、いつも脳みそのどこかでノートのことを気にかけながら、上司に怒られたりしていた。

 退勤すると一目散にバイクに跨って7分の道程を5分で帰ってくると、冷蔵庫の冷やした麦茶をガブ飲みするとこから1日が始まる。大体、仕事中に「帰ったら本を読もう」と思ったりするのだが、実際に読むことはほぼない。ジャンクフードとかの早死に飯を食ってシャワーしてスマホつついたら、朝である。

 今日は7連勤明けの休日なので、こうしてコーヒー片手にノートを書くこともできるが、いつもはそんな余裕とてない。満タンのガソリンを超スピードで減らす車両暴走みたいに、脳みそは疲労のためにドンヨリのために重苦のために、瀕死だ。死にかけという言葉がピッタリだ。この仕事が自分に合っているのかなんて考えない。嫌だろうが死にたかろうが、高校中退の中卒には職業選択の自由はない。というか、夏の高卒認定試験をすっぽかした時点で性格が透けた。ぼくは所詮どこを目指そうと何を望もうと、この時代に中卒という一点でおおかた詰むのだ。人から笑われようがバカにされようが、自殺しずに生き抜くだけで良いと思う。国家への貢献、他者への奉仕などは、実際にそれらの恩恵を受けた者に任せておく。ぼくはぼくが為に暮らすので精一杯だ。

 ぼくは文章を書くのが好きで、仕事でどれだけ苦しくとも文学においては夢がいっぱいで。だけど、この頃はお気楽に書けるノートすら更新しない体たらくだった。ぼくのノートを心待ちにしてる人は居ないと察するが、あくまで自分の為に始めたノートすら日照りの続かない愚かさ。じつを言うと、もっと文章を書きたいのに体力が追いつかない。言い訳じみててクソダサいけど、そう感じる。悔しいなあと思うけど、その根を張らせまいと地中でみなぎる過去の幻影が、辛うじて日と日をつないでいる。

 ぼくはちっぽけだ。地元を飛び出して知らぬ地に来たところで、所詮は中卒の独りよがりの放蕩だ。その存在だけで役立つ人がどこかへ行くのとわけが違う。色んな人に迷惑をかけながら、知らんぷりして生きていくのがお似合いなんだ。はぁ〜!生きるのは大変だ!!でも死にたいは言わない。色んなものを背負いながら今日までやってきたんだから大丈夫、心配ないよって言ってやりたい。

 そういえば、最近地元の友達と会った。あれ、楽しかった。彼の方から会いにきてくれた。ぼくは内向的内省的で人間として欠落しているのに、彼はそういうところが好きだと言ってくれる。ありがとうと言えずに、なんか飲む?って聞いてしまった。飯代を奢ろうとしたら断られた。彼はペットボトル1本借りを作らせない人間で、とても偉いと思う。恩返しという通せんぼにいじめられる苦しさを、彼は知っているのだ。お互い腐った家庭環境から逃げた身として頑張ろうという話をして解散した。また会いたい。

 今日はこれから家賃の振り込みをして、本屋を冷やかして、なんか美味しいもの食べたい。こんなに悩んでても腹が空くオモロさが、なんか空に向かって斜めに上がっていく飛行機のタダならぬ真実に似ている。今日と昨日とで、何も変わらぬぼくのままでいれたのだから、もう十分じゃないか。
 明日にはまた昨日がはじまるし、今日のところは羽休めという生き方、許し方。


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