【短編小説】闇に潜む
【あらすじ】
日常が歪む、不可解な出来事。
平凡な日々を送っていた男は、ある雨の日、帰宅途中に奇妙な体験をする。その出来事から、彼の周囲に不可解な現象が次々と起こり始める。妻は突然豹変し、病院では医師や看護師までもが異常な行動を見せる。一体、男に何が起こったのか?そして、この恐ろしい連鎖を止める方法はあるのか?
「うわっ!!」
男は、大人になってから、久しぶりに尻もちというものをついた。この日は、朝から降り続いた雨で道路は、水の膜に覆われ車のライトに照らされキラキラと光っていた。そんな場所で尻もちをついた男のスーツも、しっかりと濡れてしまった。
「ただいま」
男は玄関のドアを開け、疲れ切った声で家に入る。
今日は、ドアがやたらと重く感じられる。それもこれも、家に着く直前に出くわした、あの出来事のせいかもしれないーー。
男はそう考え、どこか現実感の薄れた瞳で、外で起こった不可思議な体験を思い返す。
「え?あなた、どうしたの?凄く疲れてるみたいだし、それにズボン。濡れちゃってるじゃない。」
男は、妻の驚いた声に、自分がまだ玄関で突っ立っている事に気付いた。
寝室でスーツを脱ぎ、スウェットに着替えた後、リビングに戻る。キッチンでは、妻が慌ただしく夕飯の支度をしている。
「それがさぁ・・・。」
男は、スーツを汚してしまう原因となった、不可思議な出来事の顛末を、どこか夢心地で妻に話し始めた。
料理をしながら男の話を聞いていた妻は、話の途中から料理をする手が止まり、虚ろな目で空中を見始め、話がすべて終わる頃には、発狂したように泣き叫び始めた。
男は、泣き叫び暴れる妻を何とかなだめようと、色々と試みたが、狂ってしまった妻の狂気は、時間を追うごとにひどくなり、綺麗に結わえられていた髪も、見る影もなく乱れ、着ていた服のボタンはちぎれ、胸もとが露わになっていた。
「……。何とかしたほうがいい…のか。」
男は、乱れた妻の服と髪をなんとか整え、病院へと連れて行くことにした。
家を出る前に、事前に病院に電話をかけ、妻の様子を伝える。
「すみません。急に妻が狂ったように暴れ始めてしまって。今から連れて行くので、何とか診てもらえないでしょうか?」
病院からオッケーをもらい、何とかタクシーに乗せて病院に向かう。運転手は怪訝な顔で、2人の様子をミラー越しにチラチラと伺っている。男は、その運転手の行動に気付いていたが、それどころではないので無視を決め込んだ。
事前に電話をしてあったことが功を奏したようで、病院に着くと、既に鎮静剤が用意されており、着くや否や鎮静剤を打たれた妻は、虚ろな顔ではあるものの、暴れることなく男の横に座っている。
電光掲示板に、妻の受付番号が映し出され、男は脱力してだらしなく立つ妻を引きずるように診察室へと連れて入る。
「どうされましたか?」
診察室には、柔和な顔をした初老の医者が待っていた。男は、家で撮った、妻が暴れている動画を見せながら、何故このような状況になったかを事細かく話をした。
しかし男は、自分が体験した不可思議な出来事の詳細については、あえて伏せた。
男が自身の体験談を濁したことで、逆に強く興味を抱いたらしい医者は、その体験談を聞き出そうと執拗に質問を続ける。
最初の内は、なんとかその質問をかわしていた男だったが、最終的には折れて、その不可思議な出来事について、心配しながらも全てを話したーー。
男の話が終わると、医者の顔色が変わり、その瞳には狂気を孕んだ仄暗い光が宿った。
その光が徐々に強くなると共に、医者は椅子から飛び上がり、叫び声を上げ始めた。
その声を聞き慌てて駆け付けた看護士は、医師の異様な様子を見て驚愕する。
「せ・先生!!先生、しっかりしてください。何があったんですか?」
看護士は、暴れる医者をなんとか抑え込みながら、顔だけ男のほうを向き質問する。
「先生は、なぜこのような状態になっているんですか?あなた方の間に何があったんですか?」
(あ、そっか。精神科は、このような突発的な事態に備えて、男性の看護士が多くいるのか)
妙なところで納得しながら、男は答える。
「いや、妻がこの様な状況になった原因の話を先生にしただけなのですが…。」
「話をしただけ?そんなわけないでしょう?先生がこんな状態になっているのに。あなた、何をしたんですか?」
「いえ、本当なんです。本当に話をしただけなんです。私が体験した、不可思議な出来事の話を…」
「不可思議な体験?一体、それはどういう体験だったんです?」
「え?いえ。あの…妻も先生も……その話を聞いてから、このようなおかしな状態になってしまったので、ここでまたその話をして、あなたまでおかしくなってしまったら…。」
「まさか。話を聞いただけで、人が狂うなんてあるわけがないですよ。それに、私たち医療従事者は、どんな話も冷静に受けとめる訓練をしています。ですから、安心して話してみてください。」
「でも…。」
看護士もまた、この男が体験したという、不可思議な出来事について、どうしても知りたくなったようで、何度も何度も話をするように促してくる。
しばらく押し問答をした後、結局最後には看護士にも、妻や医師に話したことと同じ話を聞かせた。
話を聞き終えた後、2人同様、看護士もまた泣き叫び、狂人と化した。
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