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私が死恐怖症•タナトフォビアを克服した話

皆さんは死恐怖症•タナトフォビアという言葉を聞いたことがありますか?

これは死の観念によって引き起こされる症状で

「ひとが死に至る過程や、存在することが止まることについて考えるときに認識され、心配になるという死の感覚」

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/死恐怖症

とされています。

私はこの死恐怖症に小学生の頃からずっと悩まされていました。
はっきりとした症状として表れるようになったのは高学年になってからで、いつか自分が死んで存在が無くなるという事実を受け止めることができずによく泣いていました。
でもこの時はまだ知識もなければ思考能力もありません。自分がどうなるか分からなくなるか不安、そういう感じだったと思います。

中学生になってから

中学生になってから私を取り巻く環境は一変しました。中高一貫校に進学し、両親から合格のご褒美としてスマートフォンを買ってもらったのです。

インターネットも自由に使えるようになりわからないこと、気になることは全て調べられるようになりました。自分がずっと不安になっていた死後について調べることも当然の流れでした。

ここで私が直面した問題が「死後の世界は無い」ということです。正確にいうと死後の世界のことなんて誰も分からないので事実ではないですが、当時私の中では無いという結論に至ります。

私という意識は脳から生まれている→死んだら脳の機能は停止する→私という意識は消える≒死後の世界は存在しない

至極簡単な論理です。その結論に至ってからは健全な精神状態ではいられなくなりました。学校にいる時は気を紛らわすことができましたが、毎日毎晩のように寝る前に不安になり、涙であふれ、ひどい虚無感に苛まれるようになりました。
この時の感覚はうまく言語化することが出来ませんが、物凄く苦しく耐えられない、死ぬことというよりも死んだあと無が永遠に続くのが怖いという感じでした。私という存在が消えて2度と目覚めることが無いということがただ怖かったです。

それからの私は死を克服しようと様々なことを試みます。

•死後の世界を信じようとする
→無いと自分で結論づけているものを信じることはできない

•死について考えない
→問題から目を背けているだけで何の解決にもなっていない

•国粋主義への傾倒
→国家に尽くすことで自分の人生、死を意味あるもののして捉えられるようになると思ったが、まったく死の恐怖は消えることはなかった。

•周りの人の意見を聞く
→ほとんどの人がそんなことで悩んだこともない。考えるだけ無駄だという意見だった。当時の自分は先延ばしにしてるだけだと感じていたが。

•享楽的に生きる
→人生一度きりだから楽しもう!ってやつ。今は楽しくてもそれもいつか終わる、そんなの虚しいしこれも先延ばししてるようにしか思えなかった。

こうして死の克服に失敗した私は以降21歳まで死恐怖症、タナトフォビアに苦しみ続けることになります。
実際にどうやって克服したかは別記事に書きます。

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