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母方の祖父
私の未就学児の頃、正確には四、五歳頃。長野の北部にある祖父母の家から最も近くのジャスコにあるゲームセンターへ大人たちによく連れて行ってもらっていた。店内に入れば、女の子二人組の「オシャレしてダンスにいこう!」というキャッチフレーズの筐体に吸い寄せられる。手持ちのカードで、ステージとラッキーカラーに合わせた完璧なコーディネートを組み、聞きなれた曲と画面に表示される一つのタンバリンに合わせてボタンを押す。青い髪色の子を勝利に導く。そして後ろに並んでいる同い年くらいの女の子と交代する。交代した女の子の手持ちのカードがあまりにも少なく、プレイ回数の少ないことが見て取れたから、カードフォルダーを貸し、ちょっぴりアドバイスもした。その子の保護者さんに感謝された。あり合わせ感満載のコーディネートも、慣れない曲についていけないのも、このゲームのプレーヤー全員の通る道だった。
最後尾にいると、両替機から戻ってきた私の祖父が、私の首から下げた小銭入れに沢山の百円玉を入れてくれる。プレイしてもプレイしても、重量の減らないそのお財布に、私の母は、四割の呆れと三割の感謝とを示していたと思う。その他の感情は当時の私には読み取れなかった。今になって、記憶から捏造するのは止しておきたい。
ただ、そこにいた私は、小銭入れの重さにも、首から下げた小銭入れを持ち上げて呆れた表情の母にも、また両替機に向かう祖父の後ろ姿にも、ゲームをプレイしている最中に背中に感じる視線にも、その空間で見つけられたもの全てに満足していた。
一一歳。オシャレは馬鹿のするものだと思いながら、中途半端な田舎の小学校で一人、中学受験に備えていた。
一八歳。学歴至上主義の人間が集う場所が嫌になり、服飾の専門学校に進学した。
二一歳。ジャスコからイオンに改名された同じ場所で、両親に喪服を買ってもらった。デザインはかなり大人な五号サイズ。店員のおばさんが、長く着られるようにと、大きめのサイズをすすめてきた。喪服試着者に対して長く着られるようになんてナンセンスだと思う。明確に誰の葬式に着ていくか決まっているのに、最後の見送りの時に、最も綺麗に見える身体にフィットした服を着ないでどうする。長く着られることなんて求めていない。むしろ着られなくなってしまうくらい、皆に長生きしてほしい。服はデザインも大事だけれど、体に合ったサイズの方が大切だから。兎に角綺麗な方が良いでしょう。祖父のためにする最後のオシャレだもの。試着室で鏡の中の真っ黒なスーツに包まれた自分と対峙し、美しいと思った。それが答えだ。
それから、旅館である祖父母の家に着き、お通夜の支度を手伝った。祖母も母も母の兄も、母の兄の奥さんも、大人は、私の父以外、皆しんどそうだった。しっかりせねばと自身に喝を入れた。幼いと言ったら怒りそうな年齢の、それでも一回り離れた従姉弟たちも慌しくなる中で居所が見つからないようにそわそわしていた。
二階奥の横手という名のついた部屋で、私の両親と弟妹の、五人で寝泊まりすることになっていた。お通夜の約二時間前、私は両手の爪に施されたネイルアートを隠すためにその部屋へ引き上げた。その日の私の爪には深緑色のジェルと金色のパーツでつい先日作られた猫がいた。その上を肌色のマニキュアで塗り隠していく。厚めに塗らないと透けてしまうが、薄く塗らないと短時間で乾かない。困ったなと思いながら手を広げて机の上に置いていたまま顔を上げると、この部屋に昔からいる木彫りの熊と目が合った。君もお通夜に行くかい?自分のメンタルがだいぶ弱っていることを自覚した。
帳場の奥の方でパソコンに向かい、煙草を片手にソリティアを延々としていた祖父が懐かしい。棺の中に故人の思い出の品を入れるとき、私はトランプを入れたいと思った。父に車を出してもらって、最も近いコンビニでトランプを買った。帰りに駐車する時に、父が珍しく車を擦って、ややこしいことになるのだがそれはまた別の機会に。従姉弟と妹にトランプの話をしたら、首を傾げられた。一回りも離れていると、病に侵された後の祖父と過ごした時間の方が長いから、元気だったころの記憶が最早無いのかと悟った。同じ人物の孫でも、思い出はそれぞれか。
お通夜もお葬式も全て終わって、と、割愛するのは忍びないけれど、白状すると、感じたことすべてを表現するには私の文才が足りていないので、文字にしてしまっても思い出が歪まない部分だけに留めたい。いつか書き足せる日が来たら良いと思う。
長野から実家のある千葉へ帰る時、私は一玉のメロンをもらった。私は赤羽のマンションで暮らしていて、同棲していた彼氏の好物がメロンだったから持って帰って一緒に食べようと。赤羽の自分の家に帰ってやっと、ずっと張っていた気を緩めて泣くことが出来た。弱った時には自分の巣穴に逃げ込んで閉じこもる小動物みたいな生き方しか知らないから。メロンは半分に切って、半玉ずつスプーンでほじくりながら二人で食べた。多分美味しかったと思う。
二四歳。二十周年記念の例の筐体ゲームの展示を観に池袋へ行った。シーサイドステージとアイドルステージが好きだった。今も。