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私のスキーの歴史 パート2

パート1では、石打丸山へ通っていた、高校生までのことを
書きました。
ヴェ―レンテクニックやアバルマン技法など、ヨーロッパから
革新的な技法が入ってきて、
本質を理解せず、日本中のスキーヤーが皆、腰を落としたフォームで滑ってました。
「高い前傾姿勢」
を取り戻すのに、往生しました。

大学に入り、競技をはじめました。そしたら、
ヴェ―レンだアバルマンだ、そんなもんどこにあるねん。

まず、スピードの次元とまでは、
いかないまでも、
レベルがぜんぜん違いました。

でも、スピードって慣れなんですね。

うちの大学では、滑降練習なる、スピード練習がありました。
斜面を真っ直ぐに降りていき、右の狭い林間コースへ入っていくんです。

しかも、これはイジメだろうっていうような所(林間コースの入り口)に大きめの段差があり、条件によっては飛ぶんです。
しかも、飛ぶ方向を間違えると林の中へ突っ込んじゃう。
林といっても、大きな木は無いんですけど、
そりゃ、怖かったです。

1年生の時は、怖くて怖くて。

上級生は上のほうからスタートしてくるんですけど、
私は林間コースの入り口のチョット上のほうからスタートし、
段差もペチョって感じでなめてました。
それでも、私にとってはバンジージャンプです。

それが、2年、3年、4年となるにつれ、スタート地点がドンドン上に上がっていき、コース全体をノンストップで降りてきて、
鼻くそほじりながらでも、そのまま林間コースに
入っていけるようになりました。

こんなに、カッコよかったらいいのになぁ

この練習で「中間姿勢」という言葉と、足裏感覚の重要性を学びました。

河川敷でやってる草野球レベルにも追いつかない大学スキー部の
練習のほとんどは、大回転という名の中回転でした。
(なぜ回転の練習をしないのか。それは、初心者も多くそんな高度な技術を要する回転など、とんでもギッチョンで、倒れたポールを直している時間のほうが多くなってしまいます。)

先輩から、「体力があれば、ほかの人より1本多く練習できるし、
大回転競技ではゴール前の10旗門は、体力勝負だ」と教わり
夏場からバッチリ体力、筋力をつけて冬場に臨んでました。

古いスキー板とスキー靴でプロペラターンの練習
  (これが、後々メチャクチャ役に立ちました。
   プロペラターンが、谷回りで一番、楽な技術でした。)

ステンマルクが、バランス感覚の向上のために
綱渡りを、トレーニングに取り入れていると聞けば
鉄棒に乗って端から端まで歩いて渡る。
(これ、メッチャ怖かったです。)

だから、その頃の私は、
力まかせで強引なスキーを
していたように思います。
そして、
4年目の八方の春合宿で、左足下腿骨折をして、
ボルトを5本入れるはめになってしまい、夏まで慎重に歩いてました。

私は、ボルトを5本入れました

秋になっても、全力では走れなかつたように思います。
翌年の3月に、ボルトを抜く手術をする予定でした。
お医者様からは、
「スキーしちゃだめだよ。ボルト入ったまま転んだりしたらテコの原理で、粉砕骨折になっちゃうからね。」
「左足、短くなっちゃうよ。」って、脅かされました。

それでも、スキーしました。12月の合宿から参加しました。
でも、今までのような力まかせのスキーはできません。

絶対に転べないから❗️
足短くなっちゃうから

生まれたばかりの小鹿のように、ゆるゆると。そして
少しづつスピードを上げて、スキー板を雪面から離さずに、
なめるように滑りました。
スキーで雪面を強く押したり、
叩きつける、なんて事は、恐ろしくてできません。
ねじるなんて、とんでもない。
それでも、スキーはカーブを描いてくれるんです。

❗️なんか昔、こんな感じの練習してたような気がするな。

そうなんです。「山回りクリスチャニア」
師匠がこんな感じで滑ってたような。
(ズレのない2本のスジしか、残らないターン。カービングターン。)

とにかく雪面からスキーが離れないように、飛ばされないように

力を入れずに、遠心力なども筋力で支えるのではなく、骨格で支える
感じ(骨盤に乗る感じ)

だから、谷回りもパラレルのまま、少しずらすような感覚で
スキーを最大傾斜線に向ける。
(今のカービングスキーだと、
浅いターンなら、この谷回りも
ズラシなしで行けるかと思います、)

今のカービングスキーでは、普通の技法ですが
今と違うのは、大きく深回りをする時には肩のラインは
最大傾斜線に向けたままのイメージです。
私には、1979・1980・1981 と技術選で上位につけた、新潟の
相田芳男選手のパラレルターンが理想形のイメージとしてあります。

こんな感じでスキーしました。絶対に転べないから。

そしたら、軽やかなスキーになり、タイムも速くなりました。
そうなんです。やっとあの頃何回も師匠に言われた
「スキーが最大傾斜線を向いたら、山回りクリスチャニア一択しかない。」
の意味とイメージ、方法が理解できました。

やっと本当の「山回りクリスチャニア」ができるようになりました。

ここから先は、
私のスキーの歴史 パート3
を、ご覧頂けたら幸いです。
また、パート1をまだ読んでない方は
私のスキーの歴史 パート1も、ご覧頂けたら幸いです。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。🙇‍♀️🙇‍♀️🙇‍♀️




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