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痛いお話し。先輩、もっとゆっくり。

今回は、スキーで骨折した時のお話をしたいと思います。

私が諸先輩方から、スキー部の主将を仰せつかり、それまでのへラ男から
硬派へ変身した春の事でした。(まいったね。俺が主将かよ。ヘラヘラしてられないじゃん。)(こんな感じの主将就任でした。)

毎年ゴールデンウイークは、八方尾根の黒菱山荘にて春合宿です。
早朝練習は、6:00頃からバーンが固いうちに行います。
(今は違うと思いますが。春合宿にマヨネーズとふりかけは必須でした。)
(マヨネーズかけごはん、けっこう美味しいですよ。)

こんな感じ

そして午前中は、我々「薬大ゲレンデ」と呼んでた黒菱ゲレンデからさらに上にあるザクザク、ボソボソの春雪斜面で練習しました。
(今はリフトがあるようですね。)
日中は、一般客もいるのでリフトなんぞない斜面にしか、ポールをセットさせてくれません。
(今思うと、あんなボソボソの斜面にポール張ってどうするんだ。)

そのボソボソ斜面の被害者第一号が、私になるとは思いませんでした。

転んで滑落していく時、左足があってはならぬ方向を向いていたのです。
(アラ~!やっちまったか?)
一瞬の出来事だったので、転んだ瞬間も滑落が止まってからも
痛くはありませんでした。ただ、左足は自分の意志では動かすことは
出来ません。やっちまったね!
それから、八方尾根パトロール隊のお世話になり下山。

こんな感じでお世話になりました。
でも、当時はボコボコのコブ斜面でしたから、
荒波にもまれる漁船のように、上へ下への大騒ぎでした。

ゴールデンウイーク中だったこともあるのか松本にある大学病院の救急に
運び込まれました。診断は、左足の脛骨、腓骨骨折で、
レントゲン写真を見ると竹をねじって割ったような感じで折れてました。

こんな感じ

応急処置をすませ、ここまで付き添ってくれた先輩の日産チェリー X-1に
乗せてもらい、峠越えをして自宅がある町の国立病院へ入院しました。

これ1970年発売のチェリーXー1。670Kgのボディにツインキャブの
80馬力のエンジンを積んでました。

この先輩が無類のスピード狂で、嬉々として飛ばすんです。
後ろの席に車の右側を背中に、足を伸ばして座った私の存在を忘れたかのように、峠道を攻めるんです。

右に曲がるときは、左足が縮まる感じで痛い。
左に曲がるときは、左足が伸びる感じで痛い。
特に右カーブの時の足が縮まる感じは顕著に痛い!

右に左に曲がるたびに遠心力で、左足が伸びたり縮んだりするので
骨膜がすれて、痛い!痛い!そりゃぁたまりません。

「せっ、先輩。もう少しゆっくり。」
「おお。」
って、わかってんのかなぁ。

峠の走り屋じゃないんだから。誰と競争してんの。
こんな峠道、我々しか走ってないから。
競争するのやめて。
警察に捕まっても、
「けが人を、国立病院へ急いで連れて行かなければならないので。」
って言い訳できるから?
そんな言い訳、通らないから。
スピード出すのやめて。痛いんだから!

そんなこんなで、国立病院に着きました。6人部屋に入院。内出血が収まってから、手術をしますということで、何日か左足に重りをつけて、牽引してました。慣れるまで、体がベッドからずり落ちるんじゃないか、ってぐらい引っ張られてた記憶があります。

こんな感じで、さらにおもりで足を引っ張ってました

そして、手術当日。脛骨を5本のボルトで固定する手術だそうです。
腰椎麻酔なので、意識はしっかりありました。
なので、誰かが左足をすごい力で、引っ張っている感覚も、電動ドリルの「ウィ~ン」って音も、ドライバーでボルトを締める「キュッキュッ」って音も、いろいろな会話もすべて聞こえました。

「ウィ~ン」とか「キュッキュッ」とか、そして「カンカンカン」とか整形外科の手術ってすごいなぁ。大工さんみたいだな。なんて思ってるうちに、なぜか意識が薄れ、気がついたら病室でした。

看護婦さんに(当時は師ではなく婦でした。)「今晩は、痛いと思うので
食後にこれのんでくださいね。」と言われ、抗生物質と痛み止めをもらいました。
そして「大きい時はこれ、オシッコの時はこれ。」って、

差し込み便器。初めて見ました。
当時はこれがブリキ製で冷たかったです。

あじけないブリキでできた薄い、ちりとりみたいなやつと、これまた、あじもそっけもないガラスの尿瓶を置いていきました。左足は、白い石膏ギプスで固めてあります。
この石膏ギプスが私に大変な経験をさせてくれました。

今回はここまで。


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