香り - 僕たちが最後まで忘れないもの -
歌手の大黒摩季さんの「ら·ら·ら」の冒頭の歌詞を聞いた時、「におい」というものが記憶を伴うものであることを知った。とても衝撃的だった。
数年後、また同じ衝撃を受けた。
考えてみればこうしたことは日常生活の中でよく経験することである。
冬の乾いた風の香りからクリスマスの思い出が蘇ったり、畳の香りが祖父母の家に遊びに行った記憶を思い起こさせたり、雨上がりの道端の土壌の香りが故郷への郷愁を抱かせたり。
僕の場合は例えば読み古した紙の本を読んだ時に幼い頃に通っていたピアノ教室の匂いを思い出す。
当時、レッスンの終わりに毎週、漫画を借りては家で夢中に読み耽った。
「ブラックジャック」や「火の鳥」や「ブッダ」など、手塚治虫の漫画が多かったように思う。他の生徒にも自由に貸し出ししていたので、いつもそれは茶色く黄ばんでいて、ページをめくる度に紙そのものの独特の素材の香りがした。
そして僕はその香りがとても気に入っていた。
もう随分と月日が経った今、先生の声も横顔も本棚の場所さえ忘れたが、あの先生と教室の香りだけは今でも鮮明に覚えている。今も毎日、本を読む度に思い出す。だから僕は本は断然、紙が好きだ。
人が最後まで忘れられないものは香りだという。
姿、形、声や名前さえ忘れてしまっても、香りだけは最後まで忘れない。
香りという形のないものを的確に表す言葉がないから、最後まで記憶に留めておくのかもしれない。
あるいは言葉にできないどうしようもないものが、どうしようもなく愛おしく思えるからなのかもしれない。香りにはやはり不思議な力が宿っている。
今も昔もよく読んだ本や漫画には後からもう一度読めるように印象的なページに栞を挟んでいたが、香りもまた、思い出の余白に挟まれた栞のようだ。
そんな香りもいつか忘れてしまうのだろうか。
今、大切にしている思い出が思い出でなくなる時は来るのだと思う。始まりがあれば必ず終わりがある。
そう思うとふと寂しくなるが、寂しいと言えるのは自分に帰る場所があるからだと思う。
それが今の自分が立っている場所なのだろう。
いつか懐かしい香りを忘れてしまうその日まで、今と昔を時に慌ただしく、また時にのんびりとタイムスリップを繰り返してみたい。ひたすら何度も。
色んな場所に行ってみよう。
話づらいと思っていたあの人に話しかけてみよう。まだ出会ったことのない大切な人に会いに行こう。
「ら·ら·ら」の途中にはこんな歌詞もある。
なぜこんなにも早いのだろう。
今年も師走。オトナの1年は瞬く間に過ぎていく。
健康寿命を考えると、そろそろ我慢や辛抱だけでなく、本当に自分が楽に楽しく過ごせる生き方を実践していく時期に差しかかったのかなと最近、強く思
うようになった。
これからも楽しい思い出も辛い出来事もたくさん経験していくのだと思う。そしてその1つ1つに何らかの香りが伴っていくだろう。
香りというものは、2度目以降の喜びも胸の痛みも、何度も確実に僕たちにもたらす。僕はそんな香りというものが嫌いではない。
*
ふいに電車を降りる際に乗ってくる女性と至近距離ですれ違った。昔、数年付き合った末に一方的に僕に別れを告げた彼女と同じ香水の香りがした。
本当は切ないはずの香り···。
けれど、なぜだか僕は少しうれしくなって改札を駆け下りていき、いつもの道をゆっくりと、まるで自らの足跡を残すように辿っていったのだった。