親がいなくなった時、自分は泣けるのだろうか···11 ( 完 ) # 家族について語ろう
【 前回までのお話 】
さて、今日はそろそろこのテーマの締めくくりに入りたいと思う。
昔観た恋愛ドラマの中でこんなセリフがあった。
「あなたは過去ばかり見ている。今を見ようとしない」と。
僕がこのテーマを通して皆さんに伝えたかったことは、ある意味、この言葉に凝縮されているように思えてならない。
過去ではなく、いかに「今」を楽に楽しく生きていけるか ? これを考えるのが大事なのではないかと。
もちろん、これはきれいごとだと言われるだろう。
親やパートナーがしたことは許されないし許す必要もないと思う。中には今なお残る心の大きな傷や後遺症に悩んでいる人もいると思う。
でも、憎むことでいつまでも親やパートナーに縛られないでほしい。親やパートナーは所詮、他人、もう自分の中の世界に入れるのはやめよう。
「前置き」で述べたように、今の境遇に関する感情と、全てを親やパートナーのせいにする考え方は区別して考えるべきであり、混同してはいけない。
僕は両親の老後の面倒をみる気はないし、はっきりそう納得させてある。親に1円でも出すのなら世界中の困っている少年少女に渡したい。
それくらい親が嫌いなのだ。
僕も昔は、上手くいかないことが起こると全てを親のせいにしてきたし、その半分くらいは当たっていたかもしれない。ただ、年齢を重ねて親の存在が薄くなってくると、その考え方がすごく非生産的で無駄なことのように感じてきた。
自分にとって大事なのは今と未来だから。
親から得るものはほとんどなかったけれど、ともかく親から卒業することができた。支配からの卒業。
親のことなんてどうでもいいと今でも思っている。
でもこれからは自分のために、自分の周りの大切な人のために、生きて、選択して、悔いのない自分の人生を送ろうと思えるようになった。
「親がいなくなった時、自分は泣けるのだろうか···」
僕はやっぱり泣けない。
これが僕の答えだ。どこの誰かに何を言われたっていい。誹謗中傷されても、どこぞの国語教師に「お前なんか人間失格や ! 」と殴られたっていい。
心で泣いて顔で泣かない。泣いてはいけないのだ。
だってそれが未来の僕のために自分自身が選んだ選択だから。自分に後悔なんかしない。
またとない、二度と来ない、たった一度きりの自分の選んだ道だから。
( 完 )
【 結論に関するあとがき 】
僕の本音はシリーズ 1 を書いていた時点から既にぼんやりとした着地点として、「おそらく泣いてしまうんだろうな」という考えがありました。
でもそれ以上に今の憎しみが残ったままの感情では泣きたくない(最終章で書いた、「泣いてはいけない」)と思っているんです。
これは感覚的なものなので本音の方を書きたかったし、綺麗事や美談で終わらせるのが嫌だったんです。救いようのない世界観を一部の人とでもいいから共有したいと思って今回のように書きました。
ただ、おそらくですが、今後もだんだんと「泣ける」に考えが変わっていくような気がしています。
そのためにはまだ全然、時間も経験も足りてないという感じです。
この記事に書かせていただきました僕の「結論」に嫌悪感や違和感を抱かれた方々が、もしいらっしゃれば、この場を借りてお詫びさせていただきます。