通知表について思うこと
こんにちは(^^)
虎ちゃんこと虎吉です🐯
先日、兄の家に遊びに行った際、兄はひどく不機嫌だった。理由を聞くと、
「あいちゃん(兄の娘)が1学期にもらってきた通知表に納得がいかんねん」とのこと。
見せてもらうと、「大変よくできた」「よくできた」「がんばろう(表記はうろ覚え)」の3段階のうち、各教科の各項目のほぼ全てが真ん中の「よくできた」に◯がついていた。
「これの何が不満なん ? 」
「いや、あいちゃんな、ほとんどの教科でよく100点とか取ってくんねん。それでこの結果は納得いかんわ。虎吉はどう思う ? 」兄のワイフも深く頷く。
「え、そうなん !? 確かにそれやったらこの結果は不思議やなぁ。『大変よくできた』にもっと◯がついてなおかしいわな。先生に理由聞いた ? 」
「直接、聞いたで。先生曰く、小学生の間はテストの得点じゃなくて、どんだけ授業内で手を挙げるかとか、要は積極的に授業に参加できてるかどうかを重視してるらしいわ。それでもなぁ···」
なるほど、そういうことか。
先生は先生なりの意図をもって評価しているのか。でも兄が怒る気持ちもよく分かる。何だろう、このモヤモヤした気持ち。
両方の主張を尊重したいが、そうもいかない難題だ。となると、自分の子どもだったらどうだろう。
うーん、やっぱり僕は納得がいかないだろうな。
だって、もっと勉強していい成績を取ろうってモチベーションがなくなるやん。
学校は勉強だけを学ぶ所ではもちろんないが、勉強「も」学ぶ場である。それに、手を挙げるのが苦手な子もたくさんいる。手をあげなくても何らかの形で授業に参加している子も多いだろう。
そうした子たちが大人になって社会で活躍できないかというと全くそんなことはない。
勉強ができることも1つの立派な個性だと思う。
ピアノが得意な子だって、字が綺麗な子だって、お母さん思いの子だって、みんな立派な個性じゃないのかな。
元気で目立つ子とか授業に積極的に参加してる子とかに重きを置きすぎて評価しちゃったらもったいないやん。それだけでは判断できない部分にもちゃんと目を向けてあげないと。
僕は兄に言った。
「僕はあまりいい評価の仕方ではないと思う」
兄は笑ってうなずきながら、なーんにも気にせずに兄の足にまとわりついている、あいちゃんの頭を愛おしそうに撫でた。
通知表のつけ方については賛否両論あるかもしれないが、少なくとも一緒に怒ってくれる兄夫婦の存在に僕は安堵した。
誰かのために一緒に怒り、悲しみ、寄り添い、
誰かと一緒になって喜び、楽しみ、助け合う。
そんな存在に僕もいつかなりたいなと思いながら、今日も自分らしく生きていく。
きっといつか出会う誰かを想って。