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チュッパチャップスとゆっくりな私の人生

目標など、なくてもいいのです。「いま、ここ」を真剣に生きること、それ自体がダンスなのです。深刻になってはいけません。真剣であることと、深刻であることを取り違えないでください。

岸見一郎/古賀史健「嫌われる勇気」ダイヤモンド社

とか言いながら、チュッパチャプス人生で片手の指で数えるぐらいしか舐めたことないんだけどね。嫌いじゃないんだけど、なんかタイミング合わないんだよな。棒つき飴舐めてるときってさ、あんまり動いてないときじゃん。実は大人向けの食べ物なんじゃないか?動物園とかが似合うイメージがある。全然動かないライオン見ながら、ぼーーっとして舐めている感じ。動かないライオンと動かない私。モノクロな時と雲だけがごくゆっくり、しごくゆっくりと流れる。爬虫類コーナーとか行って「おっ、いい色してんな」とか思いながら、毒ガエルを眺める。「おっ」と思いながらも、舐めてるから意識は少しチュッパチャプスに向いている。象見ながら、一緒に来た奴の近況とかを聴いて、「ふーん」とか「うーむ」とか思いつつ舐めている。会話するときだけポンッと口から外して、ちょっと話して、また舐める。また話すためにポンッと口から離す。そんな人生ってどうでしょうか?

俺たちに必要なのは、電子タバコではなく、チュッパチャプスだ。ココアシガレットでもいい、好きなぬいぐるみでも。いかにも真剣、いかにも厳かな場にチュッパチャプスを持ち込もうぜ。よくわからんマナーとか礼儀とかじゃなくて、こっそりチュッパチャプスを持ち込む。茶目っ気と滑稽さと悪ガキの象徴。俺の人生にはこいつらが必要だ。子供ほど天真爛漫には成れなくても、スーツ着てチュッパチャプス舐める大人は目指せる。何事かあっても、とりあえず舐めながら「甘ったるいなぁ」とか「口の中ざらざらするっ!」とか思う。飲み込まれない。口の中に楽園が広がっている!口の中だけに真実がある!口の中甘々な奴が、肩肘を張って生きていける訳がない。チュッパチャプスを舐めながらする会議って馬鹿馬鹿しいでしょ?人生をほんのりと甘く、淡く色づける。世界が殺伐としていても、なんとかなりそうな気がしない?思考が爆発していても、甘い言葉が出てきそうな気がしない?人生も社会もペロペロ舐めて生きていく。おもしれー生き物観るみたいに、おもしれー人生を観る。人生の一コマ一コマでチュッパチャップスを舐めて、誰の同情も買わせない喜劇にしてやろう。

俺は世界を愛しているけど、社会はあんまり愛していない。職場にいるお前は多分嫌いだけど、公園にいるお前は好きだと思う。もちろん社会は必要だし、俺もおこぼれを預かっているのは理解している。「真剣な場」と「深刻な場」、「生きる場」と「生かす場」の違い。
俺の人生は決して深刻なものにはならないし、悲劇のヒロインにはならないし、お前も俺も可哀そうな、憐れむべき人間ではないことだけは確かだ。どんな最後を迎えようとも、俺は必ずチュッパチャプスを舐め続けながら死ぬ。早く!早く!と急き立て続けるお前らの前で、ゆーーーーーーーっくりと舐める。なーーーーんにも役に立たない短歌集を何度も何度も繰り返し読んで死ぬ。一度きりの大切な大切な人生をほどよく真剣、ほどよく舐めて、へらへら笑いながら無意味に死ぬぞ!ワクワクするね。速さって無駄がないと思うでしょ?全く逆です。ゆっくりになればなるほどに、要らない物、馴染むものが分かって来る。しっくり来るものを世界に持ち込んで遊びまわりたい。


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