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森のなか、ひとり。

僕は一人で森を育てることが好きだった。のんびり、ゆっくりと、着実に、木を植えて、景色を作って、その中に迷い込んで、、。そこには僕ひとりしかいない。誰も入れようとしたこともなかった。

でも、僕は、自分の森を育てて、そこで何か発見することばかりに夢中になっていてはいけないことに気付いていた。本当の意味で外側にいる「他人」と世界を繋ごうとしない。何か目標を立てても、変化があっても、それはあくまでも森の中の話だから、僕の現実は何も変わらない。でも、森の外のことはわからないことが多くて、なんとなく怖い。だから、森の中と現実との間に作った境目を壊すような勇気がでない。そのままではだめなことなんて、僕はわかっていた。だから、せめて、身体だけでも前に進んでいてほしくて、人が集まる場には重い腰をあげて顔を出すようにしていた。

それから、数年時間が流れた。僕は相変わらずその境目を壊すことなんかできなかったけれど、森を育ててばかりいるわけではなかった。森を育てる代わりに、現実の中にある何かのために頭を使うことが多くなっていた。昔は哲学ばかり学んでいたけれど、その頃には経済学を勉強していた。昔は自分の感情のことを考えることが多かったけれど、その頃には誰かと何かをやるために考えることが多くなっていった。相変わらず、森の中の話は誰にもできない。けれど、森の中で独りで費やしてきた時間が、現実と僕を繋ぐ手綱になっていた。その事実が僕にとっての救いだった。

それ以降、僕はただ森の中で育てた手綱を頼りに、色々な場所を転々とした。一つ一つの冒険は、僕にとっては結構楽しくて、刺激的だった。そして、曖昧になっていく思い出に残る感情や想いは、僕が森の外から現実に足を踏み入れるための地図となっていった。その地図があるからこそ、次に自分が行きたい場所に踏み入れる最初の一歩の感触をイメージできるようになった。そうして、僕は森の中と現実との境目を破るかどうかみたいなことを考えることがなくなっていた。

こうして僕は「大人」になった。これから僕は、生きていくために、僕のためだけに時間を使うことはできなくなる。社会にとってはどうでもいい僕の想いとは関係なしに、誰かに何かを還元する結果を残していかなければならない。そのことに気付いたとき、僕は大きな不安に襲われた。もし、僕が森の中で育てた手綱だけでは太刀打ちできない壁にぶつかったとき、また森の中に逃げてしまう自分が頭に浮かんだからだ。確かに、今の僕は自分の足で現実を歩けるだけの地図をたくさんもっている。けれど、僕は起承転結が美しい物語の登場人物であるわけではない。曖昧で繊細なリアルの中にいる等身大の人間だ。地図を持って一度自分の足で歩けたからといって、それがずっと継続できるとは限らない。だから、僕は不安なんだ。


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