5月の喜びとガーデンパラソルを買った日
5月だ!
待ちに待った5月がやってきた!
冬の長い北国に住んでいると、本当に春の訪れというものは嬉しい。今年は4月が寒かった。天気も良くなかった。雨ばかりだった。気温は20度未満。もちろん、最高気温が、だ。
それだけに5月に入った途端、最高気温27度という日がやってきたのだ。嬉しくないはずがない。
あまりにも嬉しかったのか?今朝は5時に野鳥の鳴き声とともに目が覚めた。普段なら目が覚めてもしばらくはベッドの中でノロノロとしているというのに、今日は祝日にもかかわらず、さっとベッドから出て、窓のカーテンを開けた。
今日の日の出は6時。だが、天気の良い日は5時ごろから外はうっすらと明るくなっている。
「5月だ!」
改めて春が来た喜びを噛み締めて、階下に降りてコーヒーを淹れる。
嬉しい!5月なんだ!
キッチンの窓から手入れの全くできていない庭を見る。キッチンには大きな窓があるのだが、以前はこの窓にレースのカーテンをかけていた。そのレースのカーテンを外したのは、東側を向いたこの窓から夜明けを見たかったから。
紫色をした空の下方からゆっくりと赤く染まり始め、やがて金色に変わり太陽が姿を見せる。最高の瞬間だ。
今日は晴れだ。嬉しい!
そう思いながら庭を見る。なんだこれは、黄金に輝く太陽には全くふさわしくない、荒れ果てたこの庭は!
伸びまくった芝生。生えまくった雑草。
そして、
ボロボロになったガーデンパラソル!
せっかくキッチンの前にテラスがあるのに使わないのはもったいない!テラスでお茶をしたい、とガーデンパラソルを買ったのは10年前。どうせ買うのなら、と直径3mの大きなパラソルを買った。
だが、問題があった。あまりにも大きすぎて、箸を持つのがやっとという非力な私ではパラソルを組み立てることすらできなかったのだ。
いくら家族であっても、他人に依存しないと生活できないというのは実に不便だ。
わたしは大きくて重かったパラソルを近所のスーパーで買って、自宅まで必死になって持ち帰ったのに、このパラソルが日の目を見るまで、それから5年も待たなければならなかったのだ!
信じられないだろう、だが事実だ。庭に興味のない夫を持つと、パラソルがパラソルとしての役割を果たすようになるまで5年もかかるのだ。
まあよい。
5年ほど車でもないのにガレージの中で眠り続けたパラソルが、やっと日の目を見た。
パラソルがパラソルとして生きられるようになってからは、大活躍だった。なにしろ感染症が流行って外出が思うようにできなくなると、それまで庭には全く興味を示さなかった夫でさえ、毎日のようにテラスに出て、パラソルの下で読書などしていた。
5年もの長い間、ガレージの中で燻り続けたパラソル、やっと太陽の元で本来の姿を見せたのは良かったが、残酷な事実もある。
それは、庭というものは常に太陽が照りつけているわけでない、ということだ。
台風こそ来ないものの、雷雨、大雨、強風にさらされたパラソル。どんなに天気が悪くても、もうガレージには戻してもらえなかったパラソル。
夏が終わっても放置されてしまった我が家のパラソルは荒れた。傘の部分には穴があき、パラソルを開くハンドルは折れた。
もうパラソルとしては使えない。
私はしばし考えた。パラソルの買い替えをするべきなのか?
大きなガーデンパラソルの設置は私では無理だ。10年前でも不可能だったのに、怪我をした今の私には残念ながら絶対に無理だ。
では、この夏はパラソルなしで過ごそう。そう思っていた。夫に「パラソルを設置して下さい!」とお願いすれば5年後には設置されるかもしれないが、そのために大金を使うのか?
5年も待てない。諦めよう。
そう、諦めようと思っていたのだ。庭でお茶なんてしなくてもいいではないか。ドイツの夏は短い。庭でお茶ができる期間は短い。
つい、昨日までそう思っていた。そう、4月30日まではそう思っていた。パラソルはいらない、と。パラソルに使うはずだったお金で美味しいものでも買ってこよう。
そう思っていたのだ。
だが、5月は偉大だ。偉大すぎる。
小鳥の鳴き声を聞きながら、庭の生垣に巣をつくった鳥の姿を見ながら、いつの間にかamazonのサイトを開き、「ガーデンパラソル」と検索していた。
あとはご想像の通り。配達日は来週だが、今からテラスでお茶をするのを楽しみにしているのだ。
しかし、まだ大問題が一つ残っている。パラソルが配達されたら、どうやって夫をパラソル組立に誘導するか?
大問題だ。私はもう5年も待つ気はない。