最高の選択をしたのが最悪の始まりだったのかもしれない
音楽を勉強した私は在学中にドイツ語に興味を持った。もっとドイツ語を勉強してみたいと思った。
それには現地に飛ぶのが一番だろう。
そう思った私は学生時代にせっせとバイトをして旅費と滞在費を貯めた。
ドイツ語学校のパンフレットを取り寄せられるだけ取り寄せて、どこでドイツ語の勉強をするかも熱心に研究した。
そこで選んだ滞在地は南ドイツのフライブルクだった。
語学学校では気の合う日本人の友人も見つかり、ドイツ人の友人も出来た。音楽仲間も見つかり、大学の合唱団に入って歌い、教会ではフルートを吹いていた。
日本人の友達と日本語で喋り日本食を一緒に作って楽しんだり、ドイツ語の勉強がてらドイツ人とランチに出かけたりした。とても充実した生活をしていた。
この時は私は一度もホームシックにかかっていないし、一時帰国ですらしたいとは思わなかったのだ。(今や人生の唯一の楽しみが一時帰国という有様だ)
それくらい、ドイツでの生活が気に入っていた。フライブルクでの生活がとても気に入っていた。
たくさんある語学学校の中でフライブルクにある学校を選んで本当によかったと思った。
フライブルクの人々の話すドイツ語は比較的ゆっくりしていて、ドイツ語初心者の私にはとてもわかりやすかった。フライブルクでの生活を初めてから1年くらいたつと、周りの人々の話すドイツ語もかなりよく理解できるようになっていた。
私はドイツでの生活には不自由しない、と、なんとなく思っていた。
このフライブルク時代は、私の人生でおそらく一番楽しかった時だと思う。
この時、私は知らなかった。この時のドイツがずっと続くものだと思っていた(東西統一前)。フライブルクのようなアカデミックな街がドイツの至る所にあるものだと思っていた。
ドイツはどこに住んでもフライブルクでの生活のような、私にとっての快適な生活が送れるものだと思っていた。
ここで私は、私の人生において一番の最悪とも言える決心をしてしまったのだ。
それが「ドイツにず〜っと死ぬまで住んでもいい」だった。
それくらい、あの時のフライブルク滞在は楽しかった。
ドイツに永住するという判断が私にとっては良いものではなかったことは、フライブルクを去ってから身に染みてわかった。
フライブルクを去ってから住んだ街は、私は必ずしも歓迎されなかった。私も居心地の悪さをひしひしと感じることになった。
あの街を去ってから半年後にはすでに「ドイツの最初に住んだ街がフライブルクだったのはまずかった」と日記に書いている。
自分の愚かさ加減を呪った。何度も日本に帰りたいと思った。
そう思いつつ、いつの間にか30年以上が経過してしまっている。なぜこんなに長い期間、この生活に耐えれたのだろう?あれからの私の人生は後悔だらけだ。
いや、悪い事ばかりではなかったのだよ。ドイツだったからピアノ専攻でないこの私でもピアノ教師を仕事にできたのだ。まあ、それも後悔していると言えばしているのだが。
ドイツに住んでいてよかったことといえば、飛行機に乗って旅をするのが好きな私は一時帰国でドイツ・日本間を何度も飛べた、ということだ。
まあ、おかげで貯金は…以下、無言。