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世界を愛するということ


皆さんは世に存在する生物についてどう思いますか?
聞かれれば、輪廻転生、畜生道と言ったことが思い浮かぶと思います。よね!
という事で
生物に対する視点を話ながら畜生道の見解触れて最後は、今を全力で生きること
というnoteになると思います。
ここで今そんな話読みたくないよという方はブラウザバックでOKです!
では書いていきます。

生物の視点について

私は生物全部に対して仲間だと思っています。全生命体はそれぞれの試練を抱えていて、試練に貴賎はなく、それぞれの命は隣合っている。そしてそれに優劣はなく、同じ地球という地面を歩いている。という考えで、'仲間'と書きました。これは人間も同じです。
では本題。魂に貴賎はあるのか
ある。と思います。

畜生道

試練に貴賎がないと、前述したことと矛盾していると思いますよね。一つ一つ書いていきます
魂というのは器だと思います。器と言うのは、肉体を指すことが多いですよね。
ですが、私はどっちもだと思っています。肉体の形にしか魂の形は変わらない。肉体と言うのは魂の形。

では、魂の貴賎と言うのはどういう事か。

人間の肉体は、おそらくいちばん柔く、脆くできて、その上でそれなりに長く生きるように出来ていると思います。そして角が生えていたりするわけでも生え変わる訳でもない。つまり弱いままで永く生きるものと言うことです。
つまり、人間の魂は最も外部の刺激に弱いのです。
笑わせるほどの体毛しか生えてなければ、なにか他の生物に少しでも優るものは何も無い。淘汰されて当然の生物のはずです。
ではなぜ現代までその姿が、むしろ丸くなり存在しているのか。
人間が器どおりの状態で叶うわけがない。他の人間と触れ合うことで、必要でないもの、不快になるものを排除し続けて人間は生きてきました。

人間の魂と人間の体とはつまり、協力の頂点にある最後の姿なのだと私は思うのです。

試練というのは残酷で全ての生き物に降りかかります。それを乗り越えるために生命は生きている。ただし、それを共に乗り越えられるのは私たち人間だけ。協力のために修羅を尽くした私たちの精神と肉体だけだと、思っています。
分け与えるのでなく、共に試練を認識し合い、共にお互いの試練に尽くすということが出来る。

そして、

魂の貴賎

その正体は強さだと思います。
熊であれば、うさぎの試練になりうる。その資格を持っていて、うさぎにとっての熊は神にすらなり得ます。
試練は貴賎はない。だけど魂の貴賎はある。攻撃する側か、否か。同じ肉体を持つ仲間であっても攻撃の瞬間、魂の貴賎これは逆転します。
私たちはその柔さを持ちながら、色々な生物の神になる資格を持ち得る唯一の魂と、肉体なのだと思います。

今を全力で生きること!

私たちはさっきまで話したことを意識しながら生きていかなければ、人から無意識に、奪い続けてしまいます。
でも、人のものを全部守ることなど出来ません。
ここまで書いといて?!
と思うかもしれませんが。
自分のどんな行動が試練になっているか分からない。
私は誰の神ではありませんから、自分の道を信じて進むしかありません。
人が人に与えてしまう試練には2種類あり、自分の進むべき道を進む際、弊害で試練を与えてしまう場合と、人に試練を与えようとして与えてしまう場合があります。後者はとても危険。
ではどうすれば後者のように人に試練を意図的に与えずに生きていけるのか
ここまで長ったらしく話しましたが、私なりの答えは最初からあります。
誰かの神にならなければ良いだけです。
クマとウサギのように、お互いや、片方が神にならない事が重要です。

ならなくていい、ではなく、ならないで下さい。

施しを受けても、最上に褒められても、どんな場合であってもその人を神にするのはいけません。気高く生きましょう。親すら貴方の神になってはいけない。あなたの神は貴方の中にしか宿らず、本当の貴方の敵は、貴方の神にならんとする人物です。
どんな形でも、貴方の人生あなたの持つものを少しでも支配しようとする人はあなたの敵です。逃げてください。
いずれ全てを食われます。
そしてお互いが神にしようとせず、なろうとしない関係こそが、愛なのかなと思います。
そして、それを生命に期待して信じることこそ、世界への愛だろうと思います。
敵と仲間を間違えず、自分の道をゆったりと歩んで行きたいですね。


ここまで読んでいただき、本当に本当にありがとうございます!
貴方の周りが敵が現れず、仲間だけが存在する世の中であることを願っています。🍀
本当にありがとうございました!

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