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忘れるというのもいいものだ

 現在、三十代です。
 いろんな本を読みました。
 いろんな人達に出会いました。
 いろんな言葉を言われました。
 統計的に、おそらく私は七割くらいの人には嫌われていたと思います。
 その内訳は、こんな感じでしょうか。
①お前が気に食わない
②お前は気が利かない
③お前は私の機嫌を取れ
 学生時代は、何故こんなに嫌われているか分からず、ビクビクしながら過ごしました。
 三十代になった今、こう思います。

「心底どうでもいいや」

 学校を卒業した後や、二十代の頃は、私をぞんざいに扱ってきた人達を憎んでいました。
 もう会う事は無い彼ら彼女らを思い浮かべては、
「何でこの私がこんな扱いを受けなきゃいけないんだ」
 こんな不遜な事を思いました。
(そして、それをついぞ治せないまま三十代に突入してしまったのでした。別のお話でまとめます)
 シャワーを浴びながら泣き、ベッドに潜り込んで泣き、たまに思い出しては泣きました。
「あいつそろそろ不幸な目に遭ったりしないかな」
「じゃなきゃ、幸せがあまりに多くて狡過ぎる」
 もちろん。
 そんな事をしても、矮小な私自身に、何ら変化はありません。
 学力が上がるわけではない。
 容貌が良くなるわけでもない。
 器量が良くなるわけでもない。
 何より。
「そういう事を言ってきたあいつって、今も私の事を思い出して、せせら笑っているのかな?」
 そうかもしれません。
 でも、そうではないかもしれません。

 だから、考えないようにしました。

 現に、その人達の家をこっそり覗き込んで、その生活を観察する、なんて事はできませんし。
 何より、今の私に何かをもたらしてくれるかと考えたら、別に何も無いんですよね。
 私はどちらかというと無気力な方で、「馬鹿にされたから見返してやる」という考えは思い付けませんでした。思い付けたら、努力して、もう少し違う自分になれたかもしれません。が、なれなかったのだから仕方ない。
 何より。

「その人達、お金をくれるわけじゃないし」

 たぶん昔の私が聞いたら「いやお金お金って」と戸惑うでしょうが、三十代の私はマジでお金を主軸に考えるようになりました。
 もちろん、あの有名な名言はちゃんと心に刻んでいます。

金は良い召使いでもあるが、悪い主人でもある

ベンジャミン・フランクリン

 お金を稼ぐ。貯める。適度に使う。
 でも、主導権を握られてはならない。
「いかに心から納得した状態でお金を使うか?」
「くさくさした気持ちでお金を手放さない」
「なら、そのくさくさした気持ちをどうやって処理するか?」
 三十代の今は、自分にこれを課しています。

 ↑電子書籍kindle版です

 これを読んで、お金との向き合い方が変わりました。
 二十代後半で投資を始めました。が、目先の利益を追いかけるばかり。
 その上、この頃は、くさくさした気持ちでお金をじゃぶじゃぶ手放していました。勿体無い。

 三十代に入って、ようやく、本当にようやく、過去への恨みや憎しみが薄れました。
 納得はしていませんが。
 でも、その恨んでいるあいつらやこいつらは私にお金をくれるか?
 くれません。
 なら、あいつらやこいつらを考える時間って無駄じゃないか?
 間違いなく無駄である。
 そう思うと、前は一日に三回は思い出していた頻度が、一ヶ月に一回くらいになり、ついには思い出さなくなりました。

 十代の頃より二十代、二十代の頃より三十代の方が、息がしやすくなり、自分の事も好きになれた気がします。
 ただ、お金を好きになった事が、「お金をくれるわけじゃないからもういいや」と、過去の恨みや憎しみを終わらせるきっかけになるとは思いませんでした。
 今では心底どうでもいいし、忘れて良かったなと思います。

 ただ、この時はまさか「過去の事に決着はついても、新しい恨みや憎しみは積み重なっていくものなんだよ」とは思いもしませんでした。
 生きるって難しい。
 

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睦月
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