#63 雑談のちから
たとえ仕事だけの関係性だとしても、業務以外のことを話さないのは、堅苦しい感じがありますし、チームワークがとりにくい状況になりがちです。そんなとき、雑談は潤滑油となって関係をスムーズにしてくれます。
私の体験をもとに雑談について、まとめました。
私の人間関係のクセ
私は、研修など、そのときだけの関わりの場合はそうでもありませんが、学生ならクラスメイト、職場なら同僚といった、長期間関わっていく関係性のとき、馴染むのに時間がかかります。
特に同僚に関しては、経験を積んできている分、ある程度の業務をきちんとこなせているという自覚が持てないと、必要以上に気後れをしてしまいます。
新しい職場に慣れるためにした私の雑談
私が、未経験の診療科の専門病院に就職したとき、転職後に誰でも訪れるパフォーマンス低下に加え、私自身の自信の無さから、必要以上に先輩たちにビクビクしていました。
私は昔から、自分の居場所は自分でつくるものだという信念をずっと持っていました。ですから、その職場で、自分がその環境に慣れ、いずれ居心地が悪くないようにするために、ひとつのルールを自分に課しました。
そのルールとは、「昼休み、休憩室では誰かと話をする」というものでした。なぜ、仕事を覚える、毎日勉強するといった、業務に関することではなく、休憩室での過ごし方なのか不思議に思われるでしょう。
その理由は、私にとって、早く一人前になるために勉強したり、日業務を覚えることは至極当然なことですし、人間関係の良さ、少なくても悪くない関係性であることが、仕事における重要事項だと考えたからです。
その時点で、一般的な看護業務は習得していましたが、新しい分野の勉強をしたり、それに伴う業務、その病院ルールを追加する必要がありました。その病院でその分野の知識や経験を身につけたいという目的で転職していたので、自分は勉強するだろうと自負していました。
ただ、これらが成果として現れるのは、ある程度の時間と、その職場での実践が必要になるものです。焦らず、必要なことをしていけば時間と共に解決できるものだと考えました。
仕事ができるようになるまで、自分が何をすべきかを考えました。考えて出した答えが、人として信頼してもらうということです。人として信頼されれば、職場に居やすいからです。
居やすくなるにはどうしたらいいのか考えました。そして、私の人柄を知って貰えば、同僚たちが私にどう接したらいいかわかるのではないか、という結論に至りました。
そして、その具体的な行動が、休憩室での会話だったのです。
業務中は時間的、精神的にも余裕がありませんでしたし、どうしても仕事に関する意識が強く残ってしまいます。一方で、休憩室は現実の業務から少し離れていますので、仕事の出来不出来ではなく、私という人間を前面に押し出すことができる唯一の場所でした。
幸運なことに、相手を選ばす話をしてくれる肝っ玉母ちゃん系の先輩がいましたので、その方と必ず会話をしようと決めました。内容は本当に他愛もないことです。天気の話、食べてるお弁当の話、かかってるTVに関するコメントなど、仕事とは全く関係のないことです。
私たちの話に、他のスタッフが参加したり、他のスタッフたちの会話に私も参加したりして、少しずつ距離を近づけるようにしました。
そうしているうちに、仕事はまだまだだけど、大人しくてオドオドしてるだけの人ではないと認識してもらうことができました。
今思うと、休憩室での雑談がなければ、「いい歳してテンパりやすくて、仕事ができない、よくわからない人」と同僚に思われていたか、もしくは、そのように思われているだろうと、私自身が感じて卑屈になり、そこに所属していることを苦痛に感じてしまったでしょう。
後輩との距離の縮めるためにした私の雑談
歳を重ねると、当たり前ですが、後輩との年齢差も大きくなります。育ってきた環境が違う分、考え方なども異なり、理解しようにも彼らと同じ感覚がないため、理解しにくいことも多いです。
コミュニケーションの基本的な部分ですが、お互い興味の持つ共通な話題があると、話をするきっかけになります。
私が以前働いていた部署の約半数が、ジャニーズ好きでした。職場にいわゆるジャニヲタがいるのは珍しくありませんが、こんなに揃うのも珍しいです。他にもジャニーズではないタレントや俳優を推している方、宝塚好きの方もいました。私は、歌ったり踊ったり系のエンタメ全般が好きなので、ものすごく楽しく話ができましたし、わからないことはみんなが熱く教えてくれました。
舞台やライブに対する熱量をみんなが理解できる喜びと、所属グループや団体、ジャンルに拘らず、チケット当落で一緒に一喜一憂したり、出演作品の感想を話したりでき、自分も楽しみながら若いスタッフとも距離を縮めるきっかけになりました。
もちろんこれらの会話は、職場での人間関係構築の入り口ですが、職場で堅苦しい印象を持たれがちな私には、ゆるい私、キャピキャピした私を知ってもらえる機会になり、堅苦しさを少しは軟化して、業務に関することも声をかけやすくなったようでした。
患者さんと看護師と雑談
これは学生時代から、耳にタコができるくらい必要性を言われてきました。天気や自治問題、芸能ゴシップなどの会話から、患者さんの人生、そして、現在の思いなどの表出に繋がることは多いですよね。
60代後半の男性患者さんで、近寄りがたい雰囲気の患者さんがいました。当時の私はなんとなく、怖そうだなと思って、最低限のやり取りしかしていませんでした。ある日、検温をしながら何気なく天気の話をしました。当たり障りのない話でしたので、いつもと同様の「そうだね」くらいの返事しか期待していませんでした。
ところが、その日は、彼の昔同じ季節で起こったエピソードを話してくれ、一気に私のその患者さんへの緊張感がなくなったことがありました。その日以降、彼に対する抵抗感のようなものは一切なくなり、雑談に花を咲かせることもしばしばありました。
これは、私がまた新人のころで、無意識に看護師は患者さんに「してあげるべき立場の人」と考えていました。この体験で、その考え自体が看護師のおごりだと認識しました。そして、患者さんが雑談で心を開くことがあるように、看護師もその方への警戒心や苦手意識を払拭し、心を開いて距離が近づくけるということを、身をもって知ることができました。
雑談のちから
「雑談をする」には、ある程度テクニックが必要です。もちろん、無意識に、何気なく行える方もいますが、人見知りだったり、人との関わりを避けようとしてしまうタイプには敷居が高いものです。ひと言ふた言の雑談で、関係性が変化しますし、居心地の良さもそれに付随します。
私たちは、自分の意思に関係なく人と関わることで生きています。その関係性を、よりスムーズに居心地よく進んでいくために、雑談という武器を駆使していきましょう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?