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生きづらさを抱く人々を侮辱する人々
「友達は妻だけオジサン」中高年男の超残念な現実 | リーダーシップ・教養・資格・スキル | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース (toyokeizai.net)
とにもかくにも他者への寛容、理解をするということが難しい社会だと思います。
そのくせ、マイノリティに対する寛容を求めてきます。
マジョリティの中で暮らしづらい思いをしている人たちがいてもそれを無視してきます。
まあ比較的日本の場合はましなのかもしれませんが、他国のことなんて行ったことも暮らしたこともないのでよくわかりません。
大人になるにつれて、打算的になったり、あるいは家庭を優先することとなったりして、学校の時の友人たちは離れていくと思います。
また逆にいればいいほうで、友人がいらっしゃらないという方もいると思います。
別に、生きていければそれでいいという人は問題ないのですが、生きていけない人に対しては、無理をして生きていくという選択肢を与えることがいいことかどうかという思いがあります。
それなので、私は、人生をおわらせる権利というものが必要であると思います。