JKルッキズム①
先日ありがたいことにTwitterがバズった。
(不快に感じさせてしまったのであれば申し訳ありません。私個人のバイアスが強く、これから書くものも同様であるのでただの1意見であることを心に留めていただければ幸いです。)
高校生になってしばらく経つと「人は見た目だ」なんて偏ったフレーズが正当性を持つように思えた。
今までだって見た目の重要性を実感した出来事は指折り数えられるほどではなくて、そこに諦めはついたはずだった。しかし「JK」になってから昔とは比にならないルッキズムに日々日々さらされて、より一層それを感じてしまう。
もちろんルッキズムも悪いことばかりではない。友達に「可愛くなったね」なんて声をかけられればその日気持ちはプリンセスだし、むくみがとれた日は鏡でポーズだってとってしまう。可愛いは正義と思う日もある。
でもやっぱり可愛いと思えない日は生きた心地がしないし太るとご飯は美味しく思えない。
整形が「可愛くなる努力」に含まれたのは正確にいつからか分からないが、私が高校1年生になった時にはもうそういう風潮だった。学校の友人の6割くらいは「整形したいところある?」と聞けばどこかしらあげると思う(もちろん友人の性格に偏りはある)。
見た目というものが人生の中で大きな役目を担うことは事実で、特に10代から20代の中期までの女性は評価の対象が見た目に傾くことが多いと感じる。それからの人生において見た目以外の要素を磨くことが重要だと分かっているけれど今評価が上がるのはどうしようもなく外見を磨くこと。
それを永遠に追いかけられる整形という手段があたかも手軽であるように描かれ、多くの若者が翻弄されている。
この風潮の要因の一つとしてTikTokがあると思う。もちろん他の動画媒体であったりSNSも関係しているだろうが、ルッキズムや若者の安易な整形を大きく加速させたのはTikTokと言って良いだろう。
芸能人のような顔が整った子が、顔周りで可愛くダンスしたり幸せな彼氏との毎日を載せたりする。
「垢入りドブスだった私が人間になれた方法❣️」
「こんな女の子じゃダメ‼️モテに必要なこと4選」「努力してないブスを見るとイライラする🥹」
やっぱり顔が可愛くなきゃダメなんだ、そういうメッセージを感じてしまう。これほどまでに強い言葉を使おうがたいして話題にもならない状態はやはりTikTokが特例に感じる。コメント欄はまるで買う人形を選んでいるようで奇妙だ。
誰もが永遠に追い続けられる美は衛生的に在ると言えるか。
そんな状況に疑問を持つ私も結局ルッキズムの籠の鳥である。たいして変わらないということも整形の宣伝に乗せられているだけなことだって分かっている。しかしツイートでも書いたように整形をすればルッキズムを抜け出せるのではないかと思ってしまうのだ。何が自分の意思で何が流されているのかもう分からない。