見出し画像

湯田温泉について

山口湯田温泉の基本情報について調べているから文献で得た情報を整理するためにこのnoteを書く。ほんとにただの記録として。

湯田温泉の沿革

下宇野令町(現在の山口県吉敷郡にあった町、読み方:しもうのれいそん)の中心は現在の山口の中心である。この町は温泉によって発展し、古来から山口と湯田との深い関係がある。

湯田温泉の起源は明らかではないが、正治2年から湯田の地名があることから、少なくともそれ以前からあったことは確かである。

藩政時代の湯田温泉

藩政時代中期の湯田村は、温泉専業としては野原一軒が続けていたもので現在の湯田温泉ほど発展していなかった。しかし幕末となり、「文久の政変」に長州藩を頼って落ちてきた、七 がしばらく湯田に滞在したことから、志士たちが四方から湯田温泉に訪れるようになり、名が広く知られるようになった。この頃から、旅館や料理屋がわずかに繁栄するようになったが、それも一時的なもので明治に入るとしだいにもとの状態に戻った。


井上馨

前述で書いた通り、湯田温泉の発展には七 の事項と井上馨が密接に絡んでいる。

湯田温泉の地質

湯田温泉における浅層泉源群は山口市湯田の錦川を中心とする東西約600メートル、南北約200メートルに及ぶ地域に位置しており、現在の泉源数は77本(32本は休止)で動力揚泉されている。

各泉源からゆう出する温泉の温度は年とともに低下の現象を示しており、温泉法の有効温度25度を上回っているものも減少している。
この「温泉法」とは天然温泉の定義であり、「温度が25度以上で、法律で指定された成分や天然ガスが規定量以上含まれている地中から湧き出る温水など」は天然温泉だと言えるらしい。。

↓天然温泉について詳しくまとめられたもの

また、湯田温泉の泉質は単純温泉であり一日の消費量は3200トンと言われている。これらの温泉が主として公衆温泉浴場、旅館、各種団体の保養所に利用されている。


2024年10月15日の記録






いいなと思ったら応援しよう!