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「考える」とは2

 「考える」とは未来を明るくするための行動である。何らかの情報をもとにして何らかの判断をする。では「何らかの情報」とは何なのか。

 例えば算数の問題であれば、まずは足し算や引き算を勉強する。1+1=2であり、1−1=0である。なぜそうなのかはよくわからないが、そういうものとして教えられる。そもそも「1」が「イチ」と発音するものであること、「0」が「ゼロ」と発音するものであることをそれ以前に教わることになる。そうした勉強を繰り返していくことによって、段々と難しい数学の問題も解くことができるようになる。

 つまり「難しい数学の問題」も、もとをたどると最終的には「何らかの前提」にたどり着く。それは多くの人にとっては1+1=2、「1」は「イチ」と発音するものといった情報となっている。そしてそれは、幼い頃に親や先生から「教えられたもの」であって、「自分の頭で考えたこと」ではない。

 もちろん数学的には1+1=2が本当の前提ではないのかもしれない。だが多く人にとっては、記憶している限りの大前提は1+1=2といったものでしかないのである。そしてその大前提は誰かに「教えられたもの」。それが正しいと思っている理由は「親がそれが正しいと言ったから」、「先生がそれが正しいと言ったから」といった判断でしかない。

 私たちが数学の問題を解くとき、いちいち「1+1は本当に2なのか」、「1の発音はなぜイチなのか」などとは考えない。そんなことをしていたら試験時間がなくなってしまい、悪い点をとって親や先生に怒られてしまう。「それが正しいと判断したこと」はいちいちその正しさを確認していたら日が暮れてしまう。それが正しいということを前提として、何らかの判断をしている。

 だが本当にその前提は正しいのだろうか。たしかに1+1=2という前提や、「1」は「イチ」と発音するという前提が変わることはそうそうない。だが逆にいえば、前提を間違えて覚えていた場合、その前提をもとにした判断は間違ったものになってしまう。

 算数や数学の問題であれば、その答えは基本的に1つである。だが世の中のあらゆる問題、その人にとっての個人的な問題の答えは1つではない。

 幼い頃に勉強をしていた理由は「親や先生に怒られるのが嫌だから」だったかもしれないが、成長すれば勉強をする理由は「いい大学に行きたいから」、「いい会社に就職したいから」、「世の中に貢献したいから」などと変わっていき、その答えは人によって異なる。

 私たちは毎日さまざまなことを考えているが、常に何らかの前提にたっているということである。考えているとき、明日突然自分が死んでしまうとは思っていないし、明日突然自分の姿形が変わっているとも思っていない。

 私たちの「考える」という行動は、常に何らかの前提にたっている。

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