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「考える」とは
「自分の頭で考えよう」というように、「考える」ことが大事だとよく言われる。だが「考える」とは何なのか。
一般的な意味でいえば、「何らかの情報から何らかの判断をすること」といった説明になる。逆に「自分の頭で考えない人」というのは、何らかの情報を鵜呑みにする人といった説明になる。
「自分の頭で考えよう」と言われるようになったということは、逆にいえばこれまでは自分の頭で考える必要が相対的になかったということである。男性は学校で勉強し、知識や技術を習得し、社会人になって仕事として生かしていく。女性は家事全般の能力を身につけ、子供ができれば育児に追われるようになる。
そうした決められた進路のレールに乗ることが幸福だという価値観があり、「するべきこと」が明確なため、「自分で考えること」は少なかった。
だが今の時代は違う。男女の役割の違いは小さく共働きや共同での家事育児が普通になってきている。仕事は既存の知識や技術だけでは成り立たず、それ以上の付加価値が求められる。
決められた進路のレールは廃れてきており、幸福の実現には「自分の頭で考える」必要がある。
つまり「自分の頭で考える」のは自分の幸福のために必要だということ。見ている先は未来であり、「考える」ことそのものが幸福なのではなく、「考えた結果」を未来に生かすことを想定している。
それは未来に対する努力であり、その行動によって未来が明るいものになると信じている。
だがその考えは正しいのだろうか。世の中には「運命論」という考えがある。世の中で起きることのすべては予め決まっているという考えである。未来がすべて決まっているのなら、私たち人間が未来のために「考える」という行動を取ったとしても意味がない。
もちろん大半の人は「運命論」なんて信じていない。だからこそ未来のための努力をしている。学校の勉強なんてつまらないからやりたくないけど 、親や先生に怒られるのはもっと嫌だから勉強をする。会社の仕事なんて大変だからやりたくないけど、お金が必要だから仕事をする。その行動によって未来が明るいものになると信じているからそうしている。
運命によって未来が決まっているのなら、未来のための行動をしても意味がない。つまり「自分の頭で考えよう」というこの世の中は「運命論」を否定しているし、何らかの情報をもとにして何らかの判断をしようとしている「考える人」も、同様に「運命論」を否定している。
「考える」とは「運命論」を否定し未来を明るくするための行動なのである。