備忘録的な紐付け知識学 ~三日坊主頑張る編~ しょの2
前回フェリペ2世が出ましたね。
と言う訳で、紐づけます。
どうして書類王とか慎重王と呼ばれた?
この人の治世の時に、スペイン領は最大になったそうで、「日の沈まぬ国」と呼ばれてました。
なんせ、東はフィリピンで、ボルネオ、新大陸(の一部)、アルゼンチン辺り、ネーデルラント、ポルトガル、シチリアとか、なんとかとか 、世界中に領土があって、必ずどこかから日が昇っているので、太陽が沈む暇なんて無いわけです。
で、フェリペ2世は、世界中の領土から送られてくる書類に目を通して、イイネ、ダメネを繰り返してたわけです。
そりゃあ、世界一の領土を、己が才覚で維持しなければならないんだから、慎重にもなりますよ。
だから、慎重王であり、書類王なんです。
前回で、あのスペイン・ハプスブルグ家の人って書きましたが、
スペイン・ハプスブルグ家に何で、あの なんて付くのか?
知ってる人沢山いると思いますが、スペイン・ハプスブルグ家は、近親婚を繰り返して絶えちゃった家なんです。
フェリペ2世は4回結婚してます。
その内、最初の奥様は従妹、4人目の奥様は姪御さんです。
4人目の奥様との間に出来た息子さんが、次の王フェリペ3世です。
顔がどうのこうの言うのは失礼ですが、肖像画で見ると、フェリペ2世はまだ真面なお顔立ちなんですが、3世になると 「ん?」ってなって、フェリペ4世となると、 「ありゃま!」。その次のカルロス2世は「テッテレ~♪」です。そりゃぁもう 一目で分かります。
よく言われる事ですが、近親配合を繰り返すと、遺伝子的に弱くなり、知能が未発達であったり、何かしらの病気を抱えて病弱であったり、短命の方が多いそうです。
どうして近親婚を繰り返した?
まず、頭に入れておきたいのは、フェリペ2世がガチガチのカトリック信者と言う事。自他共に認める、カトリックの盟主で、全く他の宗派や異教に非妥協的な人物でした。
当時は、異教徒と結婚するより、他の宗派の人と結婚する事の方があり得ない話だったそうです。つまり、カトリックの人はプロテスタントの人と結婚できない、しない。 そうなると、同じカトリックの家臣とか、一般の人と結婚すれば良いと誰もが思うでしょう?
出来ないんです。他の家はどうか知らないけど、スペイン・ハプスブルグ家は自分達より身分が下の人間とは結婚しないのです。
「ハプスブルグの人間には、高貴な青い血が流れている」
下賤の者との結婚など汚らわしいことなのです。
そうなると、カトリックの国の王族との結婚しかありえない。
当時だと、フランス、ポルトガル、オーストリア・ハプスブルグ家でしょうか。
でも、フランスは敵対国だから駄目、ポルトガルはフェリペ2世が国王兼務してるから実際の話無理。となると、親戚筋のオーストリア・ハプスブルグ家しか無くて、近親婚しかなかったのです。だから、ローマ法王の認可を貰って近親婚していたようです。
フェリペ2世がもうちょっと融通の利く人物だったら、同じカトリックの家臣の家の人との結婚を許したり、カトリックに改宗させた後に結婚を許すとか策があったろうに、そう言う先鞭はつけられたろうにと思いませんか?