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ネバーランドにはもう行けない。

自分が子どもの頃欲しかったものとか食べたかったものとか大体親にねだらないとダメで、ねだっても得られない事が多くてってものが最近自分の自由で得られるようになった。そりゃ20歳の成人女性なんだから当然なんだが、最近妙にそれを意識するようになった。例えば写真の子どもリップ。幼い頃その可愛らしい見た目と香り、そしてリップクリームという少しお化粧気分が楽しめるそれが欲しくてたまらなかったのだがリップクリームが欲しいと親に伝えるとメンソレータムのリップクリームを渡された。ん〜そうなんだけど、違うんだよなあ〜と幼心に思ったのを思い出して先日購入してみたのだ。とても可愛くてポーチの中に入っていると嬉しくなるが小さいし保湿もまあまあで使いづらい。やはりリップクリームといえばメンソレータムなのだ。

それこそ化粧だってガキの頃は…というか校則の厳しかった高校生の頃までは憧れだったのに。化粧をして髪の毛を綺麗に巻いて外へ出かける。その憧れの行為が外へ出るためのルーティン、自分の中で言わば儀式のようなものになってしまうと一気に面倒事のように感じ、お金がかかるわ髪の毛が傷むわで何が憧れじゃと毎朝苛立ち紛れに用意する羽目になった。中学生の時母親が口紅をほじくり返してでも使っていたのを買い換えないのかと不思議に思っていたが、今は自分がボロボロになったチークをほじくり返して使っている。

大人になって自由になったせいか最近の欲望の幼児退行がすごい。回転寿司に行ったら親の許可なくてもジュースが頼めるし、スーパーに行けば好きな時に大好きなポケモンパンのいちご蒸しパンが何個でも買える。ぬいぐるみは増える一方だし先日たまごっちまで購入してしまった。でも、たくさん買ったポケモンパンを食い散らかした後に思うのだ「ああ、こんなものか。」と。親に1杯だけねと与えられたオレンジジュース、1個だけねとカートに入れてくれたポケモンパン、祖母に1つだけ好きな物買ってあげるよと動物園のショップで買ってもらっためちゃくちゃリアルなイグアナのゴム人形ほどの満足感と喜びと特別感はもう大人になってしまった私には得られないのかと寂しく感じた。大人になって飛べなくなったウェンディみたいだと思った。もし今、私の目の前にピーターパンが現れても、あの可愛らしいリップクリームよりメンソレータムの方が使い勝手がいいなんて思ってしまった私のことを彼は飛ばすことはできないし、そんな私はネバーランドにはもう行けない。

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