奇跡はすごく身近なものかもしれない
今日友達づてにあることで紹介してもらって以来
仲良くしてくれている後輩ちゃんと久しぶりにご飯に行ってきた。
仕事やっと辞められました〜って話とか
いい感じの人から未読にされちゃって〜
っていう話を聞きつつ、
わたしは彼と別れて7ヶ月、特に何もないんです〜なんて話をする。
今は自分の時間を満喫しているところ。
そのつもりでいてるけど、、心の奥底ではどう感じているんだろう。
ご飯の帰り道にふと思った気持ちを言葉にして書き残しおく。
奇跡だったんだ そんな奇跡はもう来ない
無意識にそう思って、彼の存在を、彼との思い出を
握りしめて離せないでいたんだな。
でも、仮にそれが奇跡だったとして
その奇跡を自分がおこしたのだから
また奇跡は自分でおこせるよなあ。
当たり前な話かもしれないし
そんなこと?って失笑されるかもだけど
頭大丈夫そ?て思われるかもだけど
奇跡は案外いつでもおこせるのかもしれない。
というか、息をして、寝たら必ず朝が来て、
美味しいご飯が食べられて、
(嫌々だったとしても)仕事があって、
食べたいと思ったものを食べたいときに食べれて、
雨風をしのげる家があって、
趣味に時間を使えたりといった自由もある。
当たり前だけど、奇跡でもある。
あらゆることが実は奇跡だと捉えれば
奇跡はたいそうな存在ではなくて
すごく身近なものかもしれない。