天理教修養科1002期生の日記⑩その光景が自分に残したもの〜その壱〜
今回を含め、数回に分けて、自分が一番書きたかったことを書き残したいと思う。
これを書きたいが為にnoteを始めたと言ってもいい。
自分の想いが上手く読み手に伝わるかどうか不安に思うところもある。
こんな投げっぱなしの文章を読んでくださる方々に伝えたい。
どうか、次の問いかけを心に残したまま読み進めていただきたいと思っております。
自分ならどうしましたか?
何か感じることはあったでしょうか?
「おかきさげ」というものがある。
おさづけの理拝戴時に頂く「おかきさげ」は、ようぼくの“心の定規”となるものですから、繰り返し拝読しましょう。
らしいが、すでにもう読んでいる。
もちろんおさづけの理拝戴はまだまだ先。
詰所での学びの一環として何かしらの読み物を充てがわれるのだけれど、ローテーションにおかきさげが入っている。
別に構わないよね?
いいこと書いてあるんだから、読まないと勿体ない。
そんな自分は絶賛別席運び中。ただいま3席まで運び済み。
別席て90分くらいかな。
最初は全く問題なく傾聴。
いやいや、おさづけの理拝戴に際して心におさめる話なんだから、問題なく、という表現はあまりよくないのかな。
ただ、回数を経るごとに…。
分かりますよね。
眠気が襲ってくるんです。
寝る気なんか全くないんです!
本当ですよ!?
映画の120分は寝ることなんかないのに。
リラックスしすぎているんだろうか?
聴く気はもちろんあるんですよ。
その時間の捉え方なんですかね…。
まだ本心では、本当に心におさめようと思ってないのかもしれない。
何のために9回も話を聴くのか、その理がおさまってないのかもしれない。
そう思うとなんか悲しくなってくる。
ちょっと脱線しましたが、おかきさげの中にお気に入りの部分がある。
誠の心と言えば、一寸には弱いように皆思うなれど、誠より堅き長きものは無い。
誠一つが天の理。
天の理なれば、直ぐと受け取る直ぐと返すが一つの理。
これすごくないですか?
修練の時間に一度この箇所について教養掛の先生と話をしたのですが、
正直、心が震えました。
ぱっと見、さらっと聴いただけではよく分からない。
けれど、これを自分が見知った事象に重ね合わせると、「成る程」なんです。
おかきさげの続き。
又一つ、一名一人の心に誠一つの理があれば、内々十分睦まじいという一つの理が治まるという。
それ世界成程という、成程の者成程の人というは、常に誠一つの理で自由という。
これ、本当にすごい。
長くなるので一度区切ります。
続く