見出し画像

天理教修養科1002期生の日記⑮

12月13日
別席一席目終えました。
神様の想いを受け取ってそれを人に伝える。おたすけに係る者の心構えというものを刻まれました。
教祖が想い、示された道を通ることが人間としての幸せである。
ほこりとは常に存在する。それを常に意識しながら道を通る。
誠の心を忘れないこと。

まだまだ治まっていません。
後八回、しっかり受け取っていきたいです。

お道の人なら当たり前に知っているのでしょうけど、自分にとっては初の理解のことを。
みかぐらうたの解説が面白い。

みかぐらうた一下り目
〜三にさんざいこころをさだめ〜
「さんざい」とは?
一説では、さんざいとは三才。
つまり、子供ですね。
三才の子供は親に何を求めているのか。
それは愛情。
ただ親にすがるだけの愛情。無条件に慕う心がそこにはあります。
子供は親の愛情なくては生きていけないことを「知って」います。
だから親に駆け寄っていくし、親が離れると悲しみます。
逆に親が子供のことを想って楽しいことをしたりプレゼントを贈った時に子供の反応が悪いと悲しいですよね。
人間が無条件に神様を慕う、無条件にすがる心を持つ。神様はそれが当たり前であると想っているし、そうしてほしいはずです。
つまり、
さづけを頂いた時の喜びの心を生涯忘れずにいるならば、
豊年満作となり、
理を吹く、神様の守護がどんどんあふれてくる。
面白いです。
またの説は「散財」。
教祖はまず、貧に落ちきることから始めました。
その心を忘れずに生きていく、定められたならば、豊年満作となる、と続きます。
これも面白いです。

あと、一つやりたいことができました。
三カ月の間に教祖の生家に行きたいと思っています。ただ、悩みがあるのです。

すぐ迷子になるんですよねー

12月14日
今日も良い修養科でした。
講義の一つにHR(ホームルーム)というものがある。
いろんなことを話し合ったり説明の時間になったり。補足のような扱いなのかな。
今回のHRではグループになってテーマに沿った話し合い。なかなか喋ってくれなかったおじいちゃんが一生懸命話してくれたり、みんな少しずつだけど、しがみついているものから離れようとしているのが感じられてとても良い時間でした。
どんな話を聞いたか、自分がどんな話をしたか。
心の書棚にきっちりしまっておいて、自分と皆の変化をじっくりと見ていこうと思います。
もう一つ、

同じクラスのに「おてふり」がきれいだと言われました!
お世話だとしてもめちゃくちゃ嬉しいんですけど!
一ヶ月前は見様見真似でも満足にできず、何故おてふりをするのか、どういった意味があるのか、全く何も分かっていなかった自分が、「おてふり」がきれいと言われる。
こんなことある!?と思いました。
おてふりは毎日修練で教えてもらっています。
なぜ自分はおてふりを覚えるのか、そこから始まりました。

教養掛の方や、同じクラスの人や、担任の方。その全ての人が自分の先生です。
「おてふりを身につける」という心定めに従い、自分なりに練習の方法も考えています。
まだ5分の1も進んでいないです。
それでも、きれいにできていると言われた。自分のおてふりに対する想いは間違っていないと確信できました。

自分の行動に対して賛辞をもらう、というのは自信にもなりますし、道を歩んでいる足に一層の力が入ります。
かといって、何でも賛辞をもらえればよいということでもないのでしょう。
心が定まっているからこそ感激できるし、力も入るのだと思います。
自分がされて嬉しいことはきっと他の人も嬉しいに違いありません。
想いを込めて頑張っている人をよく理解してあげて声をかけてあげたいです。

毎日、思うようにいかず悩んだり悲しんだり苦しんだりしている人は大勢います。

大丈夫、あなたは生きている。
神様がいるし、私達もいる。
それだけで幸せなんだ。

そういう言葉を伝えられる人になりたいです。

いいなと思ったら応援しよう!