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天理教修養科1002期生の日記⑬お誓日

12月9日
体調回復まで後少し。
講義の中で誓いの言葉を覚えているかどうかと振られたので、完璧に覚えていると言ったところ、何故か皆の前で誓いの言葉を披露することに。
そんな類の言葉じゃないんだろうけどね。
頭の中を整理しながら暗唱。
言い終わると拍手をもらった。
うーん。
何かが違う。
そう感じながらその日の修養科を終える。
お昼をクラスの人と食べて帰る。
ゆっくり休みたかったので途中で別れて詰所へと急いで帰った。
どうすればいいんだろう。
ただそのように漠然と考え続けていた。

12月10日
別席のお誓日。
お誓いの言葉は覚えている。
文字数で表すと300字程度。
これくらいなら覚えようと思えば1時間もあれば十分。
なのだが。
結局どのような気持ちで臨めばいいか分からないままその時間を迎える。
担任の先生の付き添いのもと、静かな広い部屋へ入っていった。
長椅子に腰掛けて待っていると、その正面に聴いてくれる人が座った。
この方がどういう立場どういう役割の人かは知らない。
聞いたかもしれないが忘れた。
「覚えていますか?もう見なくても大丈夫ですか?」
と問われたので、問題ないことを伝えると
「ではお願いします」
と促される。

そこでやっと気持ちが定まった。

何故この修養科に来ることになったのか。
おさづけの理拝戴後自分はどうしたいのか。

それを言葉に込めてみようと思った。

自分はある時を境にして生きていく道を見失う。
もう無理しなくて生きなくてもいい、なにもかも捨ててなにもかもあきらめよう、この先に進みたいとも思わない。
そんなことを考えていた時に出会ったのが今自分が所属している教会の教会長さん。
いろいろあって、その教会に住み込んで様々な御用をさせてもらうことに。
「人のたすけになることができるのが自分達の幸せ」
そのような言葉をいただきながら生活。
人生を切り替えて生きていきたいということを話していると、修養科というものの存在を伝えられ、後は自分の判断に任せられた。
そして決断。
この方達のような生き方に憧れる。
この方達が考えていることをもっと理解したい。
それだけだった。
その方法として、天理教という教えを学ぶという道が自分の前に現れる。
これから先は自分も世界のたすかりを願って生きていく人間になる。

このような想いをたかが300字程度の文章に込めた。
それが自分の誓いの言葉。

それで合ってるかどうかは知らない。
その時はそれが正解だと思った。
言い終わると聴いてくださっていた先生から随分と褒められた。
何が良かったのかは分からない。
ただ、自分の気持ちの込め方は間違ってなかったと確信。
わずか5分足らずで終えてクラスと合流。
昼前まで講話の時間。
どこかの先生がいいお話をしてくれる時間。
ごめんなさい。
ほとんど覚えていません。

そこで激しく感情が揺れた。
胸が詰まり、涙が出そうになる。
ここで涙なんか流せば講話に感動していると思われるのでなんとか耐える。
何がそんなに自分の心を揺さぶったのか。
お誓いの言葉だった。
別席の誓いの言葉そのものではなくて、想いを込めて誓いの言葉を言えたということ。
何かが切り替わる。
これで自分の生き方が変わる。
間違いない。
そんな気がしたから。

この先、おさづけの理拝戴がある。
おさづけとは
おたすけとは
自分にはまだ分からないことばかりだけど、
今日のような心のままに生きていくことができれば、きっといいことがある。
根拠なんか全くないけれど、そんなことを思えた日でした。

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