天理教修養科1002期生の日記⑳徒然なるままに
祝20回目の投稿です🎉
なかなかのハイペースで良き。
散々伝えているように、自分はまだ何も分かってない素人みたいなものなんです。
そしてこんな素人だからこそ口にできる疑問は沢山あります。
お道の歴が長い人はなかなかこういうことは言えないんじゃないかな?
その質問はちょっと危ないでしょう。
みたいなことも平気で口にします。
別に誰かを傷つけるつもりもないし、批判非難するつもりもないし、ただ単に分からないこと多いんです。
修養科ってそういうことが許されるところですよね。
この「徒然なるままに」の回はそういうことを積極的に書いていきます。
理解が深い方、自分なりの考えをお持ちの方、いたら本当に教えてほしいです。
一緒に考えてもらえたら嬉しいです。
いろんな人に聞いてみたいのです。
では、
御供えって何?
おつくしって何?
まずノルマって存在しますか?
まあ、無いと言われるでしょうね。
しかし、現実には目標だとか心定めだとか何とかで言葉を変えてますが、そのようなものは存在しますよね。
自分の理解は間違っていますか?
今の時代、調べればそのような情報はすぐ出てくるんですよ。
心定め
よふぼく〜人、初席者〜人、修養科〜人…
みたいな。
それは果たして正しい心定めなのですか?
まあ、皆何も言わないからそうなんでしょうけど。
各教会は御供えをそれぞれ上級に納めるんですよね。
そしてそれらは更に本部に納められるんですよね。
そもそも末端の御供えとは各々信者さん達の心であるわけです。
そんなことくらい素人の自分にも分かります。
その心は一番上に伝わっているんですかね。
皮肉みたいになってしまいましたが、
再三お伝えしているように、自分は本当に分からないんです。
「その心はきちんと神様の元まで届いている。責任をもって届けさせていただいてる」
という答えがほしいだけなんです。
その過程でただのノルマ達成の為のお金として変質してないと断言してほしいのです。
信者を集めようとしている理由は何ですか?
何故にをいがけをするのですか?
にをいがけをする本当の意味は何ですか?
信者を増やそうとしている理由は?
何故信者が少ないとダメなんですか?
とりとめもない感じになってきたのでこのへんで止めておきます。
こんな疑問が出てくる自分の心はきっとまだ全然澄みきっていないのでしょう。
純粋に、教えてほしいだけなんですけどね。