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天理教修養科1002期生の日記㉖

12月27日
この日は所属教会のご家族が帰っていった。帰る前、ゆっくり話す時間が欲しかったと言ってもらえたので、昼前に1時間程度だったけれど話をする時間を作った。
昼からは長期ひのきしんと夕方の神殿掃除。自分の思うままに話ができるってすごくいい。
今日の昼前の時間は自分にとってかけがえのない時間になりました。
教養掛でもあった所属の教会長さんとはこの一ヶ月いっぱい話をして、とても良い時間を過ごすことができましたが、奥さんを交えた三人で話す時間が最高に楽しいです。
以前教会において、朝の8時に集まってコーヒータイムと称した雑談の時間を過ごしていたことを思い出しました。

今日あらためて、
「神様やお道のことについて話ができるっていいこと」
と教会長さんがいってくれましたが、
本当にその通りですね。
聞いて話して感じて考える。
他には何もいらないです。
これだけで今は十分幸せです。

詰所は再び二人になってしまいました。
少し寂しくなってしまいましたが、また気持ち新たに勇んでいく元気をもらいました。
今日は良い話がいっぱいできたことにただただ感謝です。
子供達が最高に可愛いです。
大好きです。
神殿の南側にのぼりがいっぱいです。
自分のところを探そうとしましたが、
あきらめました!
また明日挑戦します。

12月28日
良い天気。
修養科1000期生350人が抜けたので、礼拝場がやけに広く感じました。
いつも同じ所に座ったいた人達が居なくなっていました。
話なんかほとんどしたことはなかったけれど、見知った顔が見られなくなるのは少し寂しいです。
皆それぞれに一般社会に戻っていくのですね。
あの人達は何かいい気付きを得られたのかな、等と、夜明けの山際を見ながら想いを寄せた朝でした。
昨日の夕方、神殿掃除終わりに副担任の先生と少し話をする時間がありました。
信仰について話ができるのは楽しい、と言って付き合ってくれることに。
自分は西の広い道から帰ろうと思っていてそのまま一緒に歩きながら話していました。
そしてやがて交差点に差し掛かったところで、後ろからクラスの方数人が追いついてきて声をかけてきてくれたのです。
そうすると先生は、
「では後はクラスの方々で親睦を深めてください!」
と言いながら東の方へ歩いていきました。東?
「どこに車停めているのですか?」
と聞くと、
「ちょっと通り過ぎましたが、そこの駐車場なんですよ」
と言ってそのまま歩いていかれました。
自分が帰るための行き先と違う方向に歩いていたことになります。
自分が話しかけたから切り出しにくかったのかな、等と考えていると、クラスメイトの一人が、
「天理教ってこういうことなのかもね」
と、ぽつりと呟きました。
その一言によって、先生は自分の想いのさらに上にいたことに気付きました。

おぢばは毎日いろいろなものを見せてくれています。
まずは先生とクラスメイトに感謝の一時でした。
今日は詰所でひのきしん。
疲れたー。
無音で寂しくなったので、歌を聴きながら風呂掃除してました。

天理教とは?という問いを最初の教養掛の先生からいただいています。
自分なりに考えてみた一ヶ月目の答え。
「神様によって生かされている喜びを知る教え」
陽気ぐらし、おたすけ、おさづけ、おやさま、元の理、いろいろなことを考え、どう組み合わせればしっくりくるか思い悩みましたが、「かしものかりもの」ということを念頭に置くと、この世界に存在している自分というものを素直に表すことで上手く今の自分におさまりました。
この先に、陽気ぐらしやおたすけが続くような気がします。
二カ月三カ月でまた何か新たな気付きが得られて、より深い答えが出せるのでしょうか。楽しみです。

未だ忘れることのできない台詞をまた一つ。
「人を助けて生きていくことが私達の喜び」二年前、まだ教会で御用をさせてもらい始めの頃、教会長さんがおぢばに御用で留守にしている時、奥さんにそう言われ、後に教会長さんに解説してもらった言葉です。
そういう教えに従って行動している、だとか、おやさまに教えてもらった、というニュアンスはありませんでした。
後の解説では、元になっているのはそういう教えだと知りましたが、その教えを修めたうえで体現しているからこそ出た言葉だったのだなと今になって考えさせられます。
天気は良好。
風強し。
昼寝します!と宣言して思いっきり昼寝しました。

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