青春の甘ずっぱさと苦さ〜高校時代回想5〜
*マイノリティ表現を含みますので苦手な方はゴーバック!
さてさて、1週間停学処分をくらってる間のお話。
はぶかれた事がショックだった。それに加えてしばらくOくんと気まずさから話してない状態だったので、『もう生きてても仕方ないなぁ・・・・・・』なんて思いながら家に置いてあったバ〇ァリン1箱をおもむろに口の中にほうばった。
少し経って、身体が徐々に麻痺した感覚になったのを覚えてる。そこから意識がなくなった。
仕事から帰ってきた母親が布団の中でおそらく顔面から色々垂れ流してる(汚くてごめんなさい🙏)自分と横に置いてあったバ〇ァリンを見て救急車を呼んだんだと思う。
起きた時には凄く気持ちが悪くて頭が痛くて病室のベッドに横たわっていた。
幸いなのかどうなのか後遺症もなく2、3日で確か退院。
体調が戻って家に帰って、停学処分はいつの間にか明けていた。でも、自分は学校に行きたくなかった。そこからしばらく学校を休んだ。色々ショックで水以外何も口に入れてなかった。気づけばに10kgくらい落ちてた。
処分が明けて10日かそこら経ったくらいで家に担任の先生が来た。おそらく経緯を母親から聞いたんだと思う。
先生「班決めの時、私がすぐに気づいて止めに入れてればこんな事にならなかったのに本当にごめんなさい。」
凄く自分を普段から気にかけて見てくれた誠実な先生だった。先生は何も悪くない。根本にある原因は自分が作ったものだったし、それ以外にも知られたくない事があったからずっと黙っていた。本当に自分は卑怯だ。
先生「話したくないなら無理に話さなくていいからね。でもね、ぽん太くんがこのまま学校をもし辞めるのを考えているんだったら少し思いとどまって欲しいな。」
続けて母親が、
母「将来の選択肢を狭めてしまうから、せめて高校だけは出ておいた方がいい。普通にまた学校に行ってちゃんと卒業しなさい。」
って。
普通に学校に行って、普通に勉強して、普通に友達と仲良くして、普通に恋愛して・・・・・・そう出来たら良かったのに自分には出来なかった。普通って凄く難しい。
先生や母親に多大な迷惑をかけてしまった罪悪感から渋々学校にまた行き始めた。
本当は辞めてしまいたかったけど。
戻ってからは、色々嫌になってしまって部活を辞めた。
気づけば、学校ではNくらしか話せる相手がいなかった。あんなに楽しかった筈の学校が凄くつまらなくなっていた。
この時期はバイトに凄く打ち込んでいた覚えがある。バイト先には高校が違う親友Jがいるし、先輩達も皆話しやすい人ばかりだった。
Jは自分が停学をくらった事は知っていた。(休んでる間シフトを変わってもらうので説明した。)
昔からJは自分を気遣ってくれて、なんで停学になったのかは聞いて来なかった。言いにくい事は言わなくていいよスタイル。ありがたかった。
停学が明けて久しぶりにJにバイト先であったら軽く驚かれた。
J「お前、めちゃくちゃ痩せてない?危ない薬とかやってない?(笑)」
ってな感じで言われたので、
自「水しか飲んでない(笑)。流石にそろそろ水しか飲んでないのはまずいと思って何か食べようとしたんだけど、胃が受け付けなくなってて(笑)」
って返したらめちゃくちゃ心配された。
この時は拒食気味になっていた。流石に水だけはまずいと思って、味噌汁は飲めるようになってきたのでしばらく水と味噌汁の生活を半年くらい。
最大体重から20kg減ったくらいの時からずっと減りづらくなってて、ここにきて幸か不幸かわからないがまたストンっと落ち始めたので楽しかった気がする。
部活辞めてから運動してないと思い、母親が通販で買っていたビ〇ーズブートキャンプやコ〇リズムをコソコソと必死にやってたな。
結局、17歳〜19歳の約2年くらいかけて約100kg→48kgまで落としたんですが、それはまた別の機会にでも詳しく書こうかと思います笑。
だいぶ脱線しましたが、結局高校は辞めずに普通に通って淡々とした毎日をしばらく過ごしてました。
続く。