エホバの証人の過保護スタイル

エホバの証人(以降JW)は過保護であると思います。

JWの親がその子供に対して過保護に接しているように見えます。もちろん、過保護で無い人もいますが、どちらかと言うと、「世からの影響から守らなきゃ!!」と言うスタンスで子供を教育しているJWが多いように思えました。その親の態度は、大人になった子供に対しても続いている様に見えます。

そしてJW全体の雰囲気が、それぞれの成員に対して、「世」との関りに対して悪影響が無いようにと、どこか不必要に管理、または監視している感じがしました。

当然、これが息苦しいわけです。

「この世」はサタンのものであると言う意識が強いせいで、不必要に「この世」を警戒しすぎてる感じがしました。警戒してもし足りないくらいサタンは狡猾ですって?まぁ、そうかもしれませんね。

「この世」で警戒する象徴的なものは、娯楽や大学などの教育でしょう。

私の場合が重苦しい空気を感じた例で言えば、小説を読むとどんな内容か、JWにふさわしい内容なのかを疑われ、大学に通っているとなれば(私は大学に通いました)、信仰の薄い人または霊的に弱っている人として見られます。

若いJW、またはかつては若かったJWは、何かをするたびに、この様な重苦しい空気を味わった事のあるJWは多いでしょう。

転ばぬ先の杖なんて言う言葉もありますが、とにかくJWはグレーゾーン、または本人に意思決定が任されている事柄においても、杖を授けたがります。

健康で走り回れる体がある様な人には、杖など必要がありません。

健康な体がある人は、たまに転ぼうが怪我をしようが、杖など使わずに走り回ればいいのです。

しかし、JWでは常に何かをするたびに「サタンからの悪影響があるかもしれない」と何かに挑戦する事をためらわせます。

結果的に、色んな体験をすることが減ります。体験が減れば、怪我も減りますが、怪我のケアの仕方も分からないままに年だけが増していきます。

要は人生の経験値不足になります。

人生の経験値不足と言うのは、どうにも物事を見る視野を狭める様な気がしました。一つの事象に対して、色んな観点から物事を見ようとしても、少ない経験では、一定の決まりきった結論にしか辿りつかないんです。

思考に広がりが無くなり、どうにも面白くありません。

JWにも海外で奉仕をしたり、日本国内でも外国語で奉仕をすることで、選択肢や経験の幅を広げたりする兄弟姉妹は多いです。JWとして求められる形で、経験値の広がりを持つことはいいと思います。

しかし、JWの過保護もとい管理体制は、人を必ずしも適切に人生経験を豊かにするものであるかは疑問の多い所です。

なぜなら、自分で物事を決めているようで、JWの意向に沿わなければいけないために、本当に心から出た行為を行っているかは不明だからです。

怪我をしないようにと過保護に育てられた子供は、大きくなってからは、充分な運動能力を持たなかったり、他者の痛みを適切に理解できないケースがあります。

果たして、怪我をしないようにと過保護に管理されたJWは、何かがあった時に、適切な行動を取れるのでしょうか?

そう、例えばJWが恐れるハルマゲドンが来る前に、仮に迫害に遭ったとしたら、本当にその迫害に耐えきれると思いますか?

JWだった頃の私は無理と思いました。


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