「58万人の同期」を引き合いに出してみる
1995年生まれは、今年27歳となる。
その年に生まれた女の子は57万8千人。
約58万人の女性が、30代を目前にして、20代を残すところ僅かとなった年齢に差し掛かっている。
仕事のこと、恋愛のこと、結婚のこと―
私達の人生を大きく左右する『選択すべき時』が、これから沢山やってくる。
その選択を前に、人それぞれに大きな壁にぶち当たると思う。
それはきっと、30代になろうとも、それ以上になろうとも変わらないんだろうけれど
「これまで」と「これから」のコントラストがかつてないほどくっきりとして、学生だった頃の余韻が今一番味わい深く感じたりするのが、このくらいの歳なんじゃないか、なんて思ったりする。
世間や学校からは「あなたは何でもできるのよ、自分次第よ」と教えられて親からは「したいこととできることは違う」と教えられた。
どちらが正しいとも言えない。そんなことは分からない。でもきっと、私にとっては後者が真実だったんだと思う。
今できること、を選び続けた私の人生は『思ってたんとなんか違うな』という方向にやんわりと、しかし確実に進んでいる。
それを「なぜ?」と鮮烈に思うというよりも、「なんで私はここにいるんだろう」「一体何をしているんだろう」という感覚と共生してる、という方が近いのかもしれない。
10歳の頃の私が今の私を見たらどう思うだろう。
18歳の頃の私は、どんな顔をするのだろう。
何歳であれ、彼女達があまりいい顔をしないだろうということだけは確信できる。
2018年 学生だった私は、
大企業の総合職という席を勝ち取れたのだから生涯安泰だと思っていた。
このままいつかドラマで見たようなキャリアウーマンになって
スターバックスのカップを片手に出勤し、ラップトップでバリバリに仕事をして
当たり前のように結婚をし、こだわりのマイホームを買うのだと思っていた。
2022年 私は地方で会社員をしている。
キャリーケースを引いて出張にも行かないし
コーヒーを片手に大好きなDIANAのヒールを履いて出勤することだってない。
苗字は未だに同じで、賃貸から抜け出せそうな予感もしない。
そのときの私にとってベストな選択をしてみた結果だ。
みんなそうだと思う。
その結果を愛せる人と、そうじゃない人がいるだけの話で
私はまだその結果を愛せずにいる。
いつも心のどこかで何かを後悔していて、何が正しいのか分からなくて、迷っている。
正直、結びの言葉なんて何にも思いつかないし、実際にはそんなもの用意できない。
だからここら辺で終わっておくけれど
きっとこれから先のある日、ある時の私がこれを読むことがあれば
「なんだあの時と全然変わってないな、そんなもんか」
なんて成長しない自分を不甲斐なく感じて、もしかするとどん底までどん底まで落ち込むことだってあるのかもしれない。
でも
本当にこれで良いんだろうか、とか
こんなことで悩むのって私だけかな、とか
大抵皆似たような悩みや経験を持っていたりする。皆が言わないだけで。
約58万人の同期がいるわけだし、まさか自分だけ、だなんてそんなことはそうそうない。
そのとき死ぬほど悩んで苦しんだことだって、いつか笑い話になるということを日記のように書き残していければなと思う。