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ギランバレー症候群 その2

入院は、初めてではないけれど・・・

激しい頭痛で総合病院を受診し、そのまま入院になった私。
仕事は、金曜日の朝に半休の連絡をしただけで、そのまま休んでしまったのですが、夫さんが連絡をしてくれていたらしく、土曜日になって上司が様子を見にきてくれました。ただ、この段階でも私は「くも膜下出血ではなかったのだから、2、3日の入院で済む」と、楽観的というか、ノーテンキな考えでした。
実際には、車イスに乗っていても自分の体を支えられず、言葉もうまく出せないような状態。そんな私を見て察してくださった上司が、その後の仕事については全てフォローしてくださっていました。
20代の頃、喉の手術をして2週間程度の入院をしたことがあるのですが、そのときは術後の担当看護師が中学校の同級生だったという、ちょっぴり恥ずかし経験をしました。
今回は、手術をするわけではないのですが、とにかく体の自由が利かないし、いつ回復するのか、いつ退院できるのか、不安がどんどん押し寄せてきて、辛い入院生活となったのでした。

動かない、動けない、けど、動かなければならない

入院初日に、髄液検査というものをして、ギランバレー症候群だと診断されました。
髄液検査は、背骨にブスッと針を刺して髄液を採取するという、世にも恐ろしい検査なのですが、担当したF先生が上手だったことと、入院初日は私も意識が朦朧としていたこともあって、あまり痛みは感じませんでした。
ギランバレー症候群の治療として、免疫グロブリンというものを点滴することになったのですが、なんだかんだで24時間点滴の針を刺しっぱなしにするので、腕を動かすことができません。
ま、病気のせいで体が動かないということもあるのですが、腕を動かさないように意識すると、余計に体が動かないのです。
ですが、動かないでいると体が固まってしまう、と言われ、早い段階から体を動かすリハビリのようなものが始まりました。
動かしたらダメよと言われながら、体を動かせと言われる矛盾。そして動かない体。
3日目くらいからがベッドから降りて立てるようになりましたが、歩こうと足を出すと膝が抜けるような感じで、足が地面につくと足首が体を支えきれず、ひょこひょこと奇妙な動作になりました。
(この歩き方を鶏足というそうです。)
また、四肢については意識的に動かすようにできたのですが、顔面麻痺の方はなんともし難い感じでした。
顔の左側が特にひどくて、瞬きをすることができませんでした。そのため、左目が乾いてしまうので、軟膏を塗って眼帯をすることになりました。
この軟膏を麻痺した手で塗るので、集中してやらないとあらぬところに指が行き、自分で自分の目潰しを喰らうことになるのでした。

もったいない精神が発動

免疫グロブリンの点滴は、5日間をワンクールでやっていたのですが、看護師さんが最後の一滴まで、残さず注入していました。
後でわかったのですが、この薬はものすごく高額で、請求書を見てびっくりして、思わずカードで分割払いにしたのです。

つらかったこと

治療自体は、ずっと点滴をしているだけなので、楽といえば楽なのですが、副作用で髄膜炎になったときには、さすがにネを上げました。
頭がガンガンする頭痛と、吐き気、身体中の痛み。
痛みよりも吐き気の方が辛かったです。
体が動かないので、うまく吐くことができず、窒息するんじゃないかと思いました。また、顔を洗ったり、うがいをしたりすることも不自由だったので、余計にキモチワルイ。
入院最初ころの楽観的な考えはどこへやら。もうダメだ、ぐええええ・・・という状態が3日くらい続いたのでした。

病室を訪れる人

入院していた期間はずっと個室でした。
病室へは、点滴を交換してくれる看護師さんが1時間おきくらいにきてくれるほか、担当のF先生と部長先生が来てくれていました。
医師が何か手を施す、ということはなくて、なんか針みたいなものを手や足に当てて、感覚麻痺を調べたり、顔の麻痺について眼科に行くように指示したり、リハビリの先生を紹介してくれたり、という感じ。
F先生は髄液検査をしたりとか主治医っぽかったのですが、部長先生は来てもいらんことを言って私をイラつかせる存在でした。
あ、部長先生は研修医の方を5人くらいゾロゾロと引き連れて来たことがありました。「白い巨塔」をやって見せたかったのかねえ。
面会は、入院2週間目くらいからできるようになって、友人や仕事関係の方が見舞いにきてくれました。
夫さんは、もちろん毎日来てくれました。1日に2回くることも。
個室でのんびり療養するという雰囲気ではなく、割と人の出入りがあったという記憶です。
少し状態が落ち着いた以降も、目の状態が悪くテレビを見たり本を読んだりすることができなかったので、病室に誰か来るというのは嬉しかったです。

次回、その3

入院は1ヶ月半続きました。
クリスマスを前にして退院へと動き始めるのですが、これもまた、ドタバタ劇が待っていたのでした。

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