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ギランバレー症候群 その1

あの頃の私

「ギランバレー症候群」というのは、自己免疫疾患の一種で、「簡単にいうと、自分の免疫が自分自身を攻撃して神経を破壊してしまう病気」だそうです。
私は、40歳になった頃にギランバレー症候群にかかりました。
その頃の私は、自分で言うのもなんですが、仕事も順調で、ノリノリの状態だったと思います。ちょっと古い言い方をすれば「イケイケ、どんどん」と言う感じ。
また、週に3回ほどはジムに通い、半年後のフルマラソンデビューに向けてトレーニングに励んでいました。
それが、この病気のせいで、手足が不自由になり、顔面にも麻痺が残りました。真っ逆さまの転落人生です。
世の中には、病気や怪我を乗り越えて頑張っている方もおられますが、私の場合は病気を克服したわけでもないし、前向きな人生を送っているわけでもありません。
そんなに、後ろ向きというわけでもないですけどね。
ただ、病気になったときに「どうなっちゃうの!?」という不安を経験した実績はあるわけで、私の場合に「どうなっちゃたか」をご紹介したいと思い、この記事を書くことにしました。

不調

最初に「体調が悪いな」と感じたのは、10月下旬でした。
仕事先のお招きで演劇を観に行ったのですが、お腹の調子が悪くて、開幕直後にやむなく退席したのです。
ギランバレー症候群の予兆としては、発症2週間ほど前から下痢が続くことがあるらしいのです。私の場合は、お腹の中がぐるぐるして、ありえない音がお腹から発せられると言うものでした。「ぐうううう」という可愛いものから、「ムンぎゅーうううう、ガルガルがるうううう」「ぐわあああおおおう」などなど。それも、結構な音量で。
体の中の固形物も水分も全て出し切っていたんですけどね。
翌日には回復したのですが、今度はひどい頭痛に悩まされました。
左側頭部を、ガツーンと殴られる感じです。
少し頭を動かしただけで痛みが走ることもあれば、数時間は大丈夫なこともありましたが、就寝中もガツーンという痛みが起こることもありました。
最初は、キツめの二日酔いの頭痛という程度でしたが、だんだんとひどくなり、1週間後には、直径15センチくらいの木槌で思いっきり殴られるような痛みでした。ちょうど、お寺の鐘をつくみたいに、ガツーン・・・ガツーン・・・・と、痛みが反響するのです。
仕事の会議中にもガツーンが来て、その度に私が「おぶっ・・・」「んっっぐう・・・」と、まるで漫画のような声を上げながら痛みを堪えていたので、さすがに周りの人が心配をして病院に行くことを勧めてくれました。

病院へ

頭痛に耐えながらも仕事は忙しかったのですが、週末の仕事の予定を整理して、金曜日の朝に病院に行くことにしたのです。
当日の朝、仕事先にメールで半休を申請したものの、その時には顔面の痙攣が出てきていて、パソコンのキーボードも思うように打つことができませんでした。
病院は、家から徒歩5分くらいのところにある総合病院に行く予定だったのですが、すでに足に力が入らず、救急車を呼ぶのはおおごとになってしまうと思い、夫さんが車で送ってくれました。
しかし、病院入口で車を降りた後は歩くことができなくなり、その場に倒れ込んでしまったのです。
看護師さんがストレッチャーを用意してくれて、救急の診察を受けたのですが、この時のことはあまり覚えていません。

見知らぬ天井

いろいろ検査を受けた後は、ICUのようなところに入れられ、点滴を受けていました。
エヴァンゲリオンの碇シンジ君と同じく、目が覚めると病院の白い天井。
時間は夜になっていました。
病室内には、私を入れて三人くらいが入院していたようですが、皆さん「うーん、うーん」と苦しそうにしていました。
私は、朝から何も食べていなかったので、お腹がすいたなあ〜と思いながら体を起こそうとしたのですが、体が動かず、パニックになりかけました。
また、この時は、呼吸も浅くなっていたらしく、酸素マスクが付けられていました。
開頭手術がされた形跡がなかったので、「あれれ、くも膜下出血ではなかったのか」と、不思議な感覚でした。
ガツーンと殴られるような頭痛があったため、くも膜下出血を疑っていたのですが、そうであれば1週間以上もひどい頭痛が繰り返されることはないしなあ、という矛盾した考えもありました。
ただ、開頭手術をしないで済んだようだ、ということで、すぐに治って退院できるだろうと、この時はまだ楽観視していたのです。

入院生活が始まる

翌朝、朝食が運ばれてきたのですが、食べることができませんでした。
出された朝食は普通食で、パンとバナナと牛乳のようなメニューだったと思います。とにかくお腹がすいていたので、どうにか体を起こし、食事に手を伸ばしたのですが、パンを持ち上げることができず、落としてしまったのです。
この後から、食事はゼリー飲料になったのですが、それも蓋を開けることができず、口で吸うことも、飲み込むこともできませんでした。
そのため、ほぼ絶食生活がこの先続くことになるのです。

次回、その2は

入院はしたものの、ギランバレー症候群の症状は入院後も進行しました。
また、治療の副作用で、しんどい思いもしました。
入院中の出来事は、その2に続きます。





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