「同級生のあの子はすごい」と後で気づいた
排水溝掃除が嫌いな話
私は、お風呂の「排水溝掃除」が嫌いだ。
大人になってやり始めてから気づいた。
母親はこれを何年もやっていたのかと思うと有難く思う。
小学校のお掃除の時間
そういえば、小学生の時に、「お掃除の時間」というものがあった。
義務的に、同級生と一緒に学校内を掃除をする時間。
トイレ掃除もあったけれど、義務的のものだったし、友達と一緒にやるから、できたと思う。
帰りの会で褒められたA君
ある時、担任の先生が帰りの会で、
同級生の男の子の行動にすごく感心して、皆の前で話したことがあった。
「A君は、校庭にある水道の排水溝が詰まっていることに気付きました。そして、一人で黙々と排水溝に詰まったものを一生懸命取ってくれていました。誰もやらないことを率先してやっていて、とても素晴らしいです。」
私は、その時、その素晴らしさをあまり理解していなかった。
大人になって、仕事は「雑用力」で思い出す
「仕事で『雑用力』がとても大事」というネット動画やブログ、本を見るようになった。職場での「掃除」についても書かれていた。
その時、あのA君のことをふと思い出した。
私じゃなくて誰かがやると思った日
私は、前の職場で、洗面所の排水溝が詰まっていた日、気づいていたのに何もしなかった。
なぜなら、「掃除をするのは汚い」し、「私じゃなくても誰かがやる」と思ったからだ。
でも、誰かがやらないと、気持ちよく洗面所を使えない。
「誰かがやる」の「誰か」とは
大人でも率先してやらない「嫌な仕事」を、
「小学生のA君」は自ら誰にも指示されずに「率先してやったのだ」。
特に、小学校という不特定多数の人が使う場での排水溝の掃除。
自宅の排水溝掃除でさえ、「汚い」、「嫌だ」と思う人は多いのに。
大人でもそう思う。
でも、彼は、皆の「ありがとう」を求めずに。
皆のために、皆が嫌がることを率先してやってくれたのだ。
お掃除の時間でもないのに。
誰にも指示されていないのに。
今頃になって、小学生の彼のすごさに気付いた。
あのA君は、今どうしているのだろう。
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