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エネルギーの循環

とびぬけて秀でていることがいいのでしょうか?それよりも自分を自分として受け入れてる人のほうがずっと魅力的。

その人から私はいろんなものを受け取る。知識だけじゃなくてその人の歴史までも受け取る。ありがたく気持ちよく受け取る。そして与えることができる。エネルギーの交換というか循環です。

エネルギーの循環ができる人と一緒にいたいと思う。と思うのは、セラピストを始めて間もない頃、私は自分の仕事について話す時にいつも謙遜していた。私なんてまだまだ未熟だ。私は器用じゃないとか。

今から思えば確かに半人前だからその通りなんだけど青すぎると思う。

自営業が次第に軌道に乗って、仕事を頂いたり、紹介してくれる人が多くなってきて、そんな謙遜は仕事人として最低だということに気づいた。

技術サービスしっかりきっちりやってそれが基本だよということをいろんな人との出会いで教えられ、謙遜は一切できなくなった。自信持ってこれができます、と言ってる自分がそこにいた。

工夫していけばできないこともできるようになる。わからなければ聞けば良い。そうやって自分で研鑽していくことで自信は出てきたのだ。

それは、良いことは応援してくれて欠点はそれがダメだとはっきりさとしてくれるひとがいたから。それで自分を知っていった。嬉しかったり悲しかったり悔しかったり落ち込んだりしたけれど、それがその時の自分なのだと徹底的に知る。そのうえで努力するのは仕事のうちなんだと。

友人に話し方のダメ出しをされて相当凹んだ。それでも何度も何度も諦めずに回数を重ねて工夫して話し方を研究したから今がある。

片割れに指摘されることはなによりも辛かった。自分の限界を越えるようにと言われ修行のように感じた。修行をこなしていくうちに、自分の限界がどんどん高くなってできることがひとつふたつと増えていって力がついていくことを実感した。

それもこれも、指摘してくれる人が自分を持ってる人ではっきり本心を言ってくれる人だったから。エネルギーの循環ができていたことに、心からありがとうと言いたい。こんなありがたいことはない。

それがなければ表面的なおせじや意見をもらっても一向に話し方は上達することはなかったし、実力もえられない。エネルギーの循環もできないから自分が人にエネルギーを与えることもできなかったと思う。

エネルギーの循環ができる人と一緒にいたい。それが一番自分を成長させて、自分も人も心地良くすることができる。自分も人も幸せにできると、今ははっきりと感じることができるからです。



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