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スターリンが愛した酒

かつては聡明な指導者のように言われていたロシアのプーチン大統領ですが、今はすっかり悪役となり、現代のスターリンとも揶揄されているようですね。

なにせ今回のロシアのウクライナ侵略にしても、大本をたどればスターリンに行き着くほどですから、その相似は当然のことでしょう。
その大本とはいわゆる人工飢饉といわれる『ホロドモール』
ロシア革命後、スターリンはウクライナの穀倉地帯から強制的に膨大な量の食料が挑発し、その結果1932年から33年のわずか1年で、当時のウクライナの人口の四分の1にあたる600万人以上、一説によれば1250万もの空前の餓死者を出したといわれる歴史的惨劇です。

なぜスターリンが自国民を虐殺するような政策をとったかと言えば、工業化に必要な外貨獲得の為の所謂飢餓輸出だったと言うのが一般的なのですが、特定の民族の絶滅政策だった、或いはかつてウクライナで起きたある歴史的悲劇に対する、とある異民族の復讐に影響されたという異説もあり、実はいまだにそれを信じている人達も多いのです。(事実ではないので具体的にそれが何かはここでは触れません)

何れにせよこの事件により、ウクライナ人には強い反ロシア感情が生まれ、ホロドモールの後移民してきたロシア人が多い東部と、ウクライナ人の多い西部との亀裂が決定的となる一方、この歴史的事件はドンバス紛争の始まりとともに政治的に利用され、ウクライナ民族主義、反異民族主義の極端なナショナリズム運動を引き起こすことになりました。
この運動が、今回のロシアの侵略の大義名分に利用されるわけですが、きな臭い話はここまで。
今日は、平和的に私がコーカサスを訪れた際のお土産のお話です。

スターリンはロシア人の例に洩れず結構な酒好きだったようですが、ワインの本場ジョージア出身ということもあって、ことのほかワインを好んだようです。

中でもスターリンがこよなく愛したグルジアワインがこちら。


「キンズマラウリ・クヴェヴリ」

蔵元のキンズマラウリ社の歴史は古く、その歴史は1533年、カヘティ王国時代の王であるレヴァン王がクヴァレリの要塞にワイン貯蔵庫を建設したことまで遡るそうです。


「最も幸せな時とは、策略を十分に練って、敵を完膚なきまでに倒したその晩に、上質のグルジアワインを飲むときだな」

本当かどうか知りませんが、こんなことをを言ってたそうですよ。
謀略のお供や、ライバルを打倒した時、邪魔者を粛清したときの祝杯にいかがでしょう。

さてワインといえばワインを原材料にしたブランデー、特にアルメニア産のブランデーはアルメニアコニャックとして最高峰の品質で知られています。中でも有名なのがヤルタ会談の際、スターリンがチャーチルに贈ったアララト社の

「ドゥヴィン」

アララトを製造するアルメニアのエレバンブランデー工場も120年以上の歴史がある名門です

愛飲家で知られるチャーチルは、すっかり気に入ってスターリンに毎年このブランデーを贈って欲しいと頼み、以後冷戦が始まるまで毎年ソ連から400本ドゥヴィンが贈られたのだそうです。
一説には個人用に360本!来客用に40本というオーダーだったそうです。

これ以後チャーチルは生涯このブランデーを愛飲しつづけたそうです。
チャーチルはドゥヴィンの中でもエイジドと呼ばれる10年以上の寝かせたものを好んだそうで、日本ではなかなか手に入らない逸品ですが、是非チャーチルばりに葉巻と一緒に嗜みたいものですね。

(おまけ)
なんだかんだいってもジョージアが生んだ歴史上最大の有名人がスターリン。
故郷のゴリでは未だに英雄ということで、世界唯一のスターリン博物館とかあります。
同志スターリンに関する魅惑の、というかちょっと危ない展示がいっぱいあります。

テヘラン、ヤルタ、ポツダムを訪れた際に使用されたスターリン愛用の専用列車も展示されています