FF16のエンディングを考える(考察ではない)
もう発売からしばらく経ちますし考察やらネタバレ動画やら大量のに世の中にあるので、ネタバレ配慮も今更感あるのでしません。
FF16のエンディングとは
ラスボスであるアルテマの「真あるべき世界」の創造を阻止したクライヴは、一人浜辺に打ち上げられ月を見ていました。
魔法を使おうとするも発現せず、今までいくら魔法を使っても石化しなかった身体に、一部石化が見られます。
薄く、安心したかのような笑みを浮かべてクライヴは目を閉じます。
時を同じくして隠れ家で待っていたジルはアルテマと相打ち死亡したはずのクライヴを想い泣き腫らしていましたが、晴れゆく空を見て喜ぶような希望を見つけたような表情になります。
そうしてシーンが変わり、魔法が物語の中の存在となった時代で幕が閉じます。
この一連のシーンにおいて、明言されていないのはクライヴの生死です。
インタビューにて開発陣は「プレイヤーの想像に委ねる」といった趣旨の発言しています。
このようなエンディングは過去にも映画や小説等にも用いられるものです。
しかし、ゲームとしてその手法はプレイヤーへの誠実さに欠けるのではないか、というのが今回の主張です。
映画やドラマに比べてゲームは膨大な時間を費やして主人公になりきり世界に浸る(最近は映画もドラマもシリーズ化して時間に関してはその限りでは無くなってますが)関係上、基本的には思い入れが深くなります。
そうであれば「主人公はこの戦いの結果こうなった」と、制作側に明確な答えがあるのならば主人公の行く末まで描写するのが誠実さなのではないかと。
生存派と死亡派
エンディングの最後、ファイナルファンタジーという古びた本が映し出され、著者はクライヴの弟であるジョシュアとなっています。
FF16のエンディングで描写されている部分だけを見ると、クライヴは死んだと取るのが自然だし物語的にも「勇者は人間世界の破滅を目論む魔王を倒し、浜辺で眠るようにこの世を去る。後に残った平和な世界にする人々によって、勇者の望んだモノは紡がれる」となり綺麗です。何故ならクライヴはシドや父親から人々の未来を託された人物だから、その終わりは次の世代に託すことだと収まりが良い。
しかし、サブクエストをクリアしていくとクライヴはこれまでの話を本にしてくれと頼まれています。
それにアルテマとの決戦時にジョシュアは死んでいる為、ジョシュア名義である時点で他の人間が書いた本である事は明白です(レイズで生き返った可能性もありますが、こちらも描写されていません)。
こういった理由からクライヴは死んでおらず、本を書いたのはクライヴだとする主張もあります。
過去の事例
過去にこの手のエンディングを紡いだ名作ゲームとして、折しも最近リメイクが発売されたペルソナ3が挙げられます。
アイギスに見守られ、眠るように目を閉じる主人公。そしてエンドロールが流れる。
主人公が死んだかどうかはこの時点では明言されていません。
エンディング曲にて語られるメッセージは直接歌詞に描かれてる通り、「精一杯駆け抜けた貴方今はゆっくり眠りなさい」というアイギスから主人公へ宛てたもので、その上「もう会えないが、会える時を信じている」とまで言っているので、死んだと言っているようなものですが、まぁそこまで聞いてませんでしたよ、当時プレイした人間からしてみたら。
ネット上でも生きているのか死んでいるのか論争が紛糾し、エピソードアイギスによって死んだ事が明言された際には「エンディングでプレイヤーに委ねたなら開発側が生死を決めるな」とまで言われました。
それ故でしょうか、後に続く作品では魂は月の裏側で魂は生きており、エリザベスが救出に動いているという設定に変わっています。
死んでいるとも生きているとも言える状況に落ち着いた訳です。
ちなみにペルソナ3では生存派でした。
エピソードアイギスにて死亡が明言された時、それならもうちょっと分かりやすく描写して欲しいなと思いましたが、そこまで反発はありませんでした。
ピリオドの打たれる場所が物語の終わり
FF16というのはクライヴの物語です。開発陣もこれは何度も繰り返し言っています。
しかし、FF16のピリオドはアルテマに支配されたヴァリスゼアには打たれますが、クライヴやジョシュアにはしっかりとは打たれません。打たれたピリオドは滲んでいるのです。
「クリスタルをめぐる探求の旅」に打たれたピリオドから改行して次に行くのか、そのままfinとなるのかが不明瞭なクライヴの物語。
果たしてこれはクライヴの物語が完結したと言って良いのだろうか。
個人的にはクライヴは死んでいる方が物語としての収まりが良いと思っているので「あの物語の、あのエンディングでは」死亡派です。FF10(後に生き返りますが)も15(小説の追加ストーリーでは生き残りますが)も、少なくともゲーム中でははっきりと死ぬので「別れの覚悟」がプレイヤーの胸を打つのです。
もっとしっかり生存している事を描写しているなら、生存していても文句はありません。中途半端にサブクエストに「生きてるかもね」程度のものを散らすな。
そしてもしクライヴが生きているのなら、マザークリスタルを破壊し尽くした人間として責任をとる必要がある。
ある程度混乱に陥るであろうヴァリスゼアの新しいリーダーとして、ロザリア公国を再興し、隠れ家のみんなとも一緒に色々頑張っているという描写は欲しい。なんなら老衰までやってくれ。
生きているのなら、エンディングをあの描写で終えるべきでは無かった。
プレイヤーへの誠実さとは
少なくとも現状のDLCではエンディングで滲んだピリオドを打ち直したりはしていないので、開発側の「プレイヤーの感じたものがエンディング」論を曲げてないのは一貫しているのかなと思います。僕の求める誠実さはそこでは無いですが、一度世に出たエンディングを変えるほうが不誠実です。
プレイヤーと主人公が不可分であるゲームは、映画などのように「見守っている」訳ではないのです。60時間以上かけて付き合ってきたクライヴへのお別れくらいは綺麗にさせて欲しい。
死亡したのであれば「お疲れ様」。生存しているのであれば「これからも大変だろうけど頑張って」。
まぁ僕はあのエンディングでクライヴは死んだと受け取ってるので良いんですが、出来れば今後はゲームのエンディングでこれ系統はやめてくれるとありがたいですね。