「最悪」に怯えながら過ごす癖を辞めて、「最高」に意識を全振りする!
100%あなたを肯定
最高の未来に導く水先案内人
キャリアコーチの中村浩一郎です。
「近々、一度来てもらえますか?」
仕事関係での突然の連絡。
・何かやらかしたっけ?
・怒られるのか?
・変な事に巻き込まれてしまったのだろうか?
相手が何を思ってるかわからない時は、最悪の事を想定する。
これは 最悪な事が起きた時に、ショックを受けないため。
「そうなること、知ってたよ」
「 やっぱりね」
最悪の場合を想定しておけば、実際に起きた時のショックが最小限になる。
結果が嫌なことじゃなかったら、それはそれでラッキーって思える。
子どもの頃、誰も自分を守ってくれないと思い込んでたから、幼い自分が、自分の繊細な心を守る必要があった。
「やっぱり、今日も学校で悪口言われた。」
「やっぱり、運動会の練習で失敗した。」
「やっぱり、修学旅行で良い班に入れなかった。」
「このやり方が1番傷つかなくて済むんだ!!」
子供の頃に自分で自分の心を守るために、身につけたテクニック。
子どもの頃に身に着けた癖はしっかり定着する。
今回もこの「最悪を想像する作戦」が発動された。
こう言われるかな?
こんな可能性もあるかな?
もしかしてこういうことかも?
相手が何を考えているかもわからないのに、あれこれ想像し、意識が今ここに無くなっていく。
楽しい時間を過ごそうとしても、頭の片隅に、その不安がいつもいる。
社会人になってからもそうだった。
・お客さんからクレーム対応で呼び出された。取引停止されるのか?
・何回連絡しても連絡が取れない求職者。内定を辞退するのではないだろうか。
・今日連絡が来ないけど、あのシステムのバグは解決したのだろうか?
あれ???
ただ、今回ふと気づいた。
何が起きるかわからないまでの時間を不安に思っているのって、人生もった
いなくない?
悪いことが起きるって決まったわけではない。
だったら、良いことが起きるかもと思いながらその日を迎えてみても良くないか?
実際にそれが最悪な事だとしたら、その時のショックは大きいけど、そこまでの時間を不安で過ごすより、幸せに過ごした方がトータル人生はハッピーなんじゃない?
うーん、このニュアンスが言葉で伝わるだろうか?
自分にとっては稲妻が落ちたような衝撃だった。
つまり、まとめるとこうだ。
【前提】
何が起きるかわからないイベントが1週間後にある。
今回でいえば、急に呼び出されて何を言われるかわからない。
【A:これまでのパターン】
1週間不安な気持ちで過ごす。
↓
A1:イベントが最悪な事だった場合
最悪な事を想定していて最悪な事が起きる。だから悲しみは最小限。
A2:イベントが最悪な事ではなかった場合
最悪な事が起きなかったのでほっと安心できる。
【B:今回閃いたパターン】
1週間後に起きることは良いこと、あるいは大したことではないのではないか。1週間不安を感じずに過ごす。
↓
B1:イベントが最悪な事だった場合
最悪な事が起きた場合は想定外だからショックが大きい。
B2:イベントが最悪な事ではなかった場合
もともと最悪な事を想定していなかったから、やっぱり大したことなかったで終わる。
結論:人生のトータルハッピー度
A>Bだと思ってたけど、A<Bなんじゃないか
そのことに気づいたら、興奮してきて夜中にビールを冷蔵庫から取り出して飲み始めた。
そもそも昔から自分の人生、そんなに悪いことばかりではなかったのかもしれない。
もし、人生に良い事と悪い事が同じだけあるのだとしたら、自分はもっと良い事に意識を向けるくらいでちょうど半々なんじゃないか。
子どもの頃に身に着けた癖。
傷ついた時の悲しみを一人で抱えきれないから、代わりに楽しい時間、喜ぶ時間を失ってきた。
楽しいこと、喜ぶことに全振りするくらいで自分の場合は丁度いい。
結局今回呼ばれた内容も想定内。
怒られる事でもなければ、何でもなかった。
というか、自分は人から否定されるような生き方はしてない。
もし、そういうことが起きたなら、それは相手の課題か、自分が調子に乗ってた時だけだ。
今回はとても個人的な視点での話ですが、早速話してみたら、「めちゃくちゃわかる!」って共感してもらったのできっと同じ気持ちの人もいるんじゃないかなって思います。