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毎日が最終回のクオリティ

癌と診断されてから、ふと休眠状態だったTwitter(X)のアカウントにカミングアウトした。

なんだろうね?何処かで誰かに聞いてほしかったんだろうか。
家族じゃない、友達じゃない、知り合いでもない、なんの利害もない、ただ聞いてくれる人が欲しかったんだろうか。

世の中には自分が思うよりもずっと、つらいことや悲しいこと、あるいは耐え難いことに直面している人がたくさんいる。

自分のつらさや悲しみなんてほんの小さなことのように感じることもある。
たとえそれが癌だとしても。

だけど、それにも関わらずこんな僕に励ましの言葉をかけてくれたり、共感してくれる人がたくさんいた。
おなじ病気だからというだけでなく、それに対する考えとか行動とか、思いであったり、そうだと思うこともあれば、あぁそうなんだと気づかされることもある。

一言で癌と言ったって、いろんな臓器があるように、おなじ臓器だとしても癌の種類も違えばもちろんステージも違う。
そして何より、人はひとりひとり体質が違う。
だから例えおなじ臓器のおなじ癌だとしても、その経過や手術や治療の仕方は人によって違ってくる。

それであったとしても、Twitter(X)での言葉や共感は、とても僕を強くしてくれた。
おなじ立場にたつものとして、離れていても会ったこと無くても、どうしようもなく応援して、そして感謝して、本当に有りがたかった。

ときには悲しい出来事も目にすることもあった。でもそれもみんなの頑張っている現実。
いつ誰がそうなるかなんて誰にもわからない。
最善を尽くしているかと聞かれても、何れが最善なのかもわからない。
ささまざまな要件が絡み合って僕たちの病気は姿を変えていくし、当の本人にとっては未知のセカイとの闘いだから。

正解のわからない、言われたことをやっていくような経過のなかで、5年生きていたい、10年生きていたい、とか思いながら、でも実はほんのすぐそこの明日とかを元気に過ごしたいのが本音だったりする。

1日でも、何処も痛くない、なんの違和感もない、自分は癌なんだとこれっぽっちも思わない日が有ったら幸せだな、な~んて思う。

「あなた癌ですよ」と言われた日から、僕は一生癌なんだと頭の片隅にへばりついた言葉に左右される日々を過ごすことになる。

あらゆる基準をそこにしたくはないけど、いつかあれをしよう、老後はこうしよう、なんて考えても、待てよ?それって俺生きてんのか?とかね。

だけどね、どっちにしたって命には限りがあるのだから、できることをやり、やりたいことに向かい、できるだけ笑って、おなじ時間を費やすならば、そうやって過ごす方が自分に優しいよねって。

SNS で繋がった皆さんもそれぞれにがんばって前を向いて過ごされている。
僕も出来るだけできることをがんばって、楽しいことや癒されることを伝えていけたらと思う。

いつが最終回だかわからないような、いや、どれが最終回でも良いような、そんなクオリティの日々が送れたら良いねって思う。

みんな、ありがとう!

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