ハラスメントの定義
みなさんはいろいろなハラスメントを知っていますか?
最近、マルハラというものを知り、若者の繊細な価値観に触れるきっかけになりました
ただ、なんでもハラスメントという名前をつけていく風潮は生きづらい世の中になるのではと危惧しています
パワハラ、セクハラは昔からよく聞くもので、これらによる職場環境や生産性、そして波動に影響を与えるのは言うまでもないです
しかし、近年聞くハラスメントはなんでも嫌なものをハラスメントというくくりでまとめてしまうような感じがしますが、どうでしょうか?
ひとりひとり価値観が異なるのに、
ハラスメントとひとくくりにしすぎる風潮は大丈夫でしょうか?
ハラスメントという定義によって守られるものより、むしろ生きづらい環境づくりにならないか心配ですね
まるで一方的な杓子定規にあてて、被害者ばかりを守り、加害者もしくは被疑者の生きづらさを助長していると思います
被害者意識が強い方は基本的に自分がかわいそうという感情が先行して自分を守ることに執着します
いつもそのような意識では魂の成長に歯止めをかけることになり、カルマ解消の機会も失いかねません
この時代に生まれ生きている我々はかなり窮屈な世界での魂磨きが求められています
大きく成長する可能性もあれば、ハラスメント認定など社会的制裁の恐れから萎縮する可能性も十分あります
後者の人が多く、言いたいことしたいこともできず、このまま人生のカリキュラムを後回しすると、来世のカリキュラムも達成できません
より人類の子孫、すなわち我々の来世は生きづらい環境にいるでしょう
そうならないためにハラスメントを恐れずに己の感じる正しい生き方をすべきです
正しいと思う直感で生きることは正直に生きることです
正直な気持ちが誠実さを生み、他者との衝突した際、緩衝材の役割を果たすはずです
堂々と生きること
これがみんなに与えられた肉体がある限りできることです
この肉体に縛りつけるハラスメントという定義は霊格向上にとって邪魔な存在になります
これはあくまで私の価値観ですので、
このブログがハラスメントと感じる人もいるでしょう
ただ、純粋に私の意見を述べていて、特定の人を傷つけるために述べていないので、文章に想いが乗っています
言霊はあります
言葉が空気の波動に影響を与えます
波動が水を動かします
水は記憶できる生命体です
身体のほとんどは水です
水によい波動を与えると身体が喜びます
逆になんでもハラスメントにすると
負の波動が水を動かします
水は濁ります
その濁り水が体内に毒を生み出します
その毒が感情を支配します
煩悩や怒りのもとをつくります
そしてハラスメントがハラスメントを生む
社会としても精神としてもボロボロになる
後悔する前に皆さん、ひとりひとりハラスメントの定義を見直してみませんか?
必要なハラスメント定義もあるので、吟味は必要ですが、なんでも定義すると生きづらくなります
私は堂々と丸をつけていきたいと思います。
これは定義、社会に対する批判ではなく、自分に正直に生きることだと思います。